2920df16 No.3823
高級マンションの最上階。
遮光カーテンの隙間から差し込む陽光が、大理石の床を白く照らしている。
クローゼットの奥から、厳重に保管された『それ』を取り出す。
一見すれば、精巧に作られた等身大のシリコンスーツ。
だがこれは、本物の人間の肉体から剥ぎ取った、世界にただ一枚の『皮』だ。
俺の名はキヨヒコ。
人間を皮にする能力を持ち、その皮を纏うことで、声帯から指紋、果ては肉体の質量に至るまで、その人物そのものになりすますことができる。
この裏の稼業で手に入れた大金で、都内一等地にいくつものセーフティハウスを構えていた。この高級マンションもその一つだ。
「さて、今日の『お出かけ』の準備を始めるか」
ベッドの上に広げたのは、セミロングの黒髪に、見事なまでのIカップの巨乳を持つ美女の皮。
本来の俺の男としての体格とは似ても似つかない、小柄で肉感的な身体だ。
しかし、この能力に物理的な矛盾は通用しない。
足先から皮を滑り込ませ、腕を通し、最後に顔を合わせるようにして全身を密着させる。
じわり、と奇妙な温悪感が全身を包んだ。
骨が縮み、筋肉が再構成され、内臓の重みが変わっていく。
男である俺の体重は消え去り、皮の持ち主だった彼女の華奢な質量へと置き換わっていく。
鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは、どこからどう見ても、息を呑むような絶世の美女だった。
ふわりと揺れるセミロングの髪、そして服の上からでも主張する圧倒的な胸の曲線。
「完璧だ」
彼女の美しい声で呟き、クローゼットから真っ白なレースの下着を選び出す。
今日の目的はただのショッピングではない。
この姿の時に引っ掛けた、金回りのいいパトロンとのデートだ。
白い下着を身に付け、その上にいかにも男受けの良さそうな清楚なワンピースを纏う。
彼が必死に稼いだ金を、この身体を使ってどれだけ貢がせてやろうか。
財布代わりの男が待つ待ち合わせ場所へ向かうため、俺はハイヒールに足を通し、妖艶な微笑みを浮かべて部屋を後にした。
1438c5ff No.3922
高級ホテルのラウンジ。約束の時間の5分前、私はおっとりとした足取りでフロアに足を踏み入れた。
「待たせちゃったかな?」
首を少し傾げ、上目遣いで声をかける。席でそわそわと時計を気にしていた男――不動産会社の二代目社長である男が、弾かれたように顔を上げた。
「あ、いや! 全然待ってないよ。今日もすごく綺麗だね、キヨミちゃん」
鼻の下を伸ばし、デレデレとした締まりのない笑みを浮かべる男。
彼は、目の前で微笑んでいる美女の正体が、中身はむさ苦しい男(キヨヒコ)であることなど微塵も疑っていない。
声帯も、仕草も、この皮の持ち主のものを完全にトレースしているのだから当然だ。
「良かった。今日のワンピース、あなた好みのものを選んでみたの」
豊満なIカップの胸元を少し強調するようにして席につくと、男の視線が露骨に釘付けになる。欲望の透けて見えるその視線が、今の俺には最高の娯楽だった。
「さあ、まずはどこに行こうか? 今日は何でも好きなものを買ってあげるからね」
「本当? 嬉しい。じゃあ、まずはあそこのブランドショップに行きたいな」
おねだりするように男の腕にそっと触れる。指先に伝わる男の体温を感じながら、内心で冷酷に計算を弾く。
連れて行かせたのは、誰もが知る超高級ハイブランドのブティックだ。
店内に入ると、私は値札も見ずに、新作のバッグやきらびやかなアクセサリーを次々と指差した。男の顔が一瞬引き攣るが、プライドと下心がある手前、「いいよ、全部買いなさい」と見栄を張ってブラックカードを差し出す。
「ありがとう! あなたって本当に頼りになる」
満面の笑みで男の頬にキスをするフリをしながら、俺は心の中で嘲笑していた。
この男が貢いでくれた高級品は、後で別のセーフティハウスに持ち帰り、裏のルートで全て現金に換える。
そうして得た金で、また新しい『隠れ家』を作り、俺の正体を完全に隠蔽するための資産にするのだ。
両手いっぱいのブランド物の紙袋を男に持たせ、私たちは次の目的地へと向かう。
夕暮れ時の街を歩きながら、私は男の腕に深く胸を押し当てた。
男は完全に有頂天になっている。
(次はどの店で、いくら吐き出させてやろうか――)
美女の皮の内側で、俺(キヨヒコ)は獲物を品定めする冷徹な目で、次の獲物と次の計画を練り始めていた。
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ブランドショップを数軒ハシゴし、男のブラックカードで総額数百万円の買い物を終えた頃には、すっかり陽が落ちていた。
「キヨミちゃん、そろそろディナーにしようか。予約してあるんだ」
「わあ、楽しみ。お腹空いちゃった」
案内されたのは、夜景が一望できる超高級フレンチレストラン。
窓際の特等席に座り、最高級のシャンパンで乾杯する。
男はすっかり上機嫌で、いかに自分が稼いでいるか、どれだけ人脈があるかを饒舌に語り始めた。
俺は「すごーい」「さすがね」と、男が一番気持ちよくなれるセリフを完璧なタイミングで返し、時折、Iカップの胸をテーブルに少し乗せるようにして身を乗り出す。
男の目は終始泳ぎ、完全にこちらの術中にはまっていた。
だが、男の目的がここから先にあることくらい、百も承知だ。
メインの肉料理が運ばれてきた頃、男が私の手をそっと握り、声を低くした。
「ねえ、キヨミちゃん。この後、僕のセカンドハウスに来ないか? もっと君と2人きりで話がしたいんだ」
下卑た欲望が、その瞳の奥でぎらついている。
普通の女ならここで警戒するか、あるいは金を積まれた対価として応じるのだろう。
だが、俺の中身は男だ。
これ以上付き合うのは、時間と労力の無駄でしかない。
「ごめんなさい……。今日は急に体調が悪くなっちゃって。ほら、少し熱っぽいの」
握られた手をそっと引き抜き、潤んだ瞳で悲しそうに男を見つめる。
「えっ、あ、そうなの?」と、男は露骨に落胆の表情を浮かべた。
一気に不機嫌になりそうな気配を察し、俺はすかさず甘い罠を付け足す。
「本当にごめんなさい。次は、あなたのために特別な日を空けておくから。だから、今日は送り届けてくれる?」
「! ああ、そうだね。無理をさせちゃいけないな。じゃあ、タクシーを呼ぶよ」
「次」という極上のエサをチラつかせれば、この手の男は簡単に引き下がる。
レストランを出て、男が手配したタクシーに乗り込む。
両手いっぱいの高級ブランドの紙袋を抱え、窓の外に遠ざかっていく男の姿を見送った。
男は最後まで、名残惜しそうに私に手を振っていた。
「ふぅ……」
タクシーのシートに深く背を預け、キヨミの艶やかな声で小さくため息をつく。
行き先として告げたのは、昼間に出発したあの高級マンションとは全く別の、別の区にあるセーフティハウスだ。
部屋に着くなり、山のような戦利品を床に放り出す。
鏡の前に立ち、ワンピースのファスナーを下ろして、白い下着姿になる。
そして、首筋に指をかけ、じわりと『皮』を剥ぎ取り始めた。
肉体が膨張し、骨がきしみ、本来の俺――キヨヒコの男の身体へと戻っていく。
小柄な美女の肉体から解放され、ドサリとベッドに倒れ込んだ。
手元に残ったのは、明日にでも数百万の現金に変わる宝飾品とバッグの数々。
男の欲望を貪り、自らの糧にする。
このスリルと全能感がある限り、俺のこの二重生活は辞められそうにない。
次は、あの男からどんな贅沢を毟り取ってやろうか。俺は暗い部屋の中で、静かに独りごちた。
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セーフティハウスの静寂の中、俺は次の『獲物』を仕込むための皮を選び出す。
昨日までの艶やかな大人の美女とは一転、今日選んだのは、どこか幼さを残した清楚系女子大学生の皮だ。
栗色のサラサラとしたロングヘア、透明感のある肌、そしてまだ男を知らないかのような可憐な顔立ち。
だが、服の上からでもわかる程よい膨らみが、男の庇護欲とスケベ心を絶妙に刺激する絶品だ。
「今日は1人でゆっくりショッピングといくか」
足先から皮を滑り込ませる。
体骨が小さく収まり、体重がふわりと軽くなる感覚。
鏡の中に現れたのは、大学のキャンパスにいそうな、誰もが振り返るような美少女だった。
クローゼットから取り出したのは、淡いピンク色のブラとパンツ。
昨日の白いレースとは違う、可愛らしさを前面に出した下着を身に付ける。
皮の滑らかな肌触りに、上質な生地がしっくりと馴染む。
その上に、清楚さを際立たせる真っ白なワンピースを纏い、薄手のカーディガンを羽織る。
どこからどう見ても、育ちの良い大人しい女子大生そのものだ。
「よし、完璧だな」
可憐な声で一人ごちると、俺は小さめのショルダーバッグを肩にかけ、部屋をあとにした。
今日の目的はパトロンとのデートではない。この姿で街を歩き、新たなカモを探す『下見』兼、純粋なショッピングだ。
賑わうカフェや高級ショップが立ち並ぶストリートへと繰り出す。
すれ違う男たちが、一瞬立ち止まって視線を投げかけてくるのがわかる。気恥ずかしそうに少しうつむき、カーディガンの裾をぎゅっと握る仕草をしてみせる。それだけで、周囲の男たちの目がさらに熱を帯びるのが心地いい。
(さて……次のターゲットになりそうな、羽振りの良さそうな男はどこにいるかな)
可憐な女子大生の笑顔の裏で、俺(キヨヒコ)は冷ややかに街の人間観察を始めていた。
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おしゃれなオープンカフェのテラス席。
心地よい風がカーディガンの裾を優しく揺らしている。
私は小さなアイスカフェラテをストローでちびちびと飲みながら、少し退屈そうに街ゆく人々を眺めていた。
膝の上で手を少しモジモジさせ、時折スマートフォンを覗き込む。
どこからどう見ても、「待ち合わせ相手を待っているのか、それとも手持ち無沙汰にしている清楚な女子大生」そのものの可憐な佇まいだ。
案の定、視線を感じる。
少し離れた席から、仕立ての良いスーツを着た30代前半ほどの男が、こちらの様子を伺っていた。
高級腕時計をこれよがしに見せつけ、身なりにもそれなりに金をかけている。
狙い通りの『羽振りの良さそうなカモ』だ。
男は意を決したように立ち上がると、爽やかな笑みを貼り付けて私のテーブルへと近づいてきた。
「ねえ、君。一人? もしよかったら、隣いいかな」
急に声をかけられた驚きを演じるため、私は「ひゃいっ」と小さく声を上げて肩を跳ねさせた。パッチリとした目を丸くし、少し怯えたように上目遣いで男を見つめる。
「あ、ごめんなさい、脅かすつもりはなかったんだ。あまりにも君が可愛かったから、つい声をかけちゃって」
男は余裕のある笑みを浮かべ、少し身を乗り出してきた。自分の容姿と財力にかなりの自信があるらしい。
「僕、すぐそこにあるIT企業の経営をしてるんだけど、ちょっと仕事の合間に休憩しててさ。良かったら、この後の買い物、僕に付き合わさせてくれないかな? 何でも好きなもの買ってあげるよ」
ストレートで分かりやすい下心。清楚な女子大生なら怖がって逃げ出すか、あるいは露骨な勧誘に困惑するところだろう。
だが、白いワンピースに包まれた私の内側にいるのは、冷徹なキヨヒコだ。
(ほう……IT企業の経営者ね。いいカモが自分から引っかかってくれたな)
私はカーディガンの袖口をぎゅっと握りしめ、顔をほんのり赤らめながら、困ったように恥ずかしそうに呟いた。
「えっ……あの、私、そんな……見ず知らずの人に何か買ってもらうなんて……」
うつむき加減になり、ピンクのリップを塗った唇を小さく噛み締める。
その一瞬の隙に見せた「押しに弱そうな少女の表情」に、男の瞳が興奮で揺れるのを俺は見逃さなかった。
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「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。怪しい者じゃないからさ。ほら、名刺」
男はポケットから上質な紙質の名刺を取り出し、テーブルの上滑らせるように差し出してきた。
そこには誰もが一度は耳にしたことがある新進気鋭のITベンチャー企業の代表取締役という肩書が刻まれている。
(思っていた以上に太い客になりそうだな)
俺は名刺にそっと触れ、信じられないというように目を細めた。
「すごいです! 私、こんなすごい社長さんとお話しするの、初めてで……」
少し声を上ずらせながら、憧れと尊敬を込めた視線を男に向ける。
男の鼻が誇らしげに高くなるのが目に見えるようだった。
己の財力とステータスで、世間知らずのうぶな女子大生を落としかけているという優越感に浸っているのだろう。
「ハハ、大したことないよ。それよりさ、君の名前は? 大学は何処に通ってるの?」
「あ、あの……アオイって言います。近くの大学で教育学を学んでいて……今日は講義が早く終わったので、ちょっとお買い物に来たんです」
「アオイちゃんか、良い名前だね。よし、アオイちゃん、これも縁だしさ、僕に付き合ってよ。欲しいバッグとか洋服とか、何でも買ってあげるから。ね?」
男はそう言って、私に拒否する隙を与えないように爽やかな笑顔で強引に立ち上がり、会計を済ませてしまった。
「あ、あの! 自分の分はお支払いします……!」
「いいっていいって、女の子にお金を出させるわけにいかないよ」
怯えつつも、どこか流されやすい少女を完璧に演じながら、俺は男の後ろを少し遅れて歩く。
白いワンピースの裾を控えめに揺らし、カーディガンの袖をきゅっと握りしめて不安そうに街を歩く私を、男は誇らしげにエスコートしている。
(バカな男だ。清楚で扱いやすいカモを引いたと思っているんだろうが、喰われるのはお前の方だ)
うつむいた顔の陰で、清楚な女子大生・アオイの皮を被った俺(キヨヒコ)は、男の財布からどこまで絞り出せるかを計算し、暗い悦びに口元を歪めていた。
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男に連れられてやってきたのは、若者向けの高級セレクトショップやデザイナーズブランドが立ち並ぶビルの一角だった。
「アオイちゃん、こういうお店、普段はあんまり来ないんじゃない?」
「はい……綺麗なお店すぎて、一人じゃ入るのも緊張しちゃいます」
店内に入ると、私は少し縮こまった仕草で男の斜め後ろをついて歩いた。
陳列された新作の洋服や革小物を、物欲しそうに、でも遠慮がちにチラチラと見つめる。
「気になったのなら着てみなよ。ほら、これなんてアオイちゃんに絶対似合うと思うんだよね」
男が選んだのは、大人っぽいシルエットの小花柄ワンピースと、品のあるレザーのハンドバッグ。
どちらも一着、一品で十数万円は下らない代物だ。
「えっ、そんな! すごく素敵ですけど、こんな高価なものいただけません……!」
「いいからいいから。可愛い子に似合う服を着てもらうのが僕の趣味なんだからさ。試着してきてごらんよ」
押し切られる形で試着室に入る。
鏡の前で白いワンピースを脱ぎ、ピンクの下着姿になる。
皮の密着度を確かめるように胸元を軽く整えてから、男に渡されたドレスへと着替えた。
扉を開けて外へ出ると、男は息を呑んで固まった。
「どう、でしょうか……? 変じゃないですか?」
両手を胸の前で小さく握りしめ、不安そうに上目遣いで男を見つめる。
可憐な女子大生が、自分のためにドレスアップして恥ずかしそうに佇んでいる――男の独占欲と優越感が最高潮に達したのが、その開いた口元から見て取れた。
「最高だよ、アオイちゃん。完璧だ。これも、そのバッグも全部買っていくよ」
男は興奮気味に財布からブラックカードを取り出し、店員に手渡した。
「本当に……いいんですか? なんだか夢みたいです」
「夢なんかじゃないよ。アオイちゃんが喜んでくれたなら、僕も嬉しいしね」
店を出た時には、両手にいくつもの紙袋が握られていた。
男は「せっかくだから、このまま夜のご飯も一緒に行こうよ」と、自然な流れで私の腰に手を回そうとしてくる。
だが、ここで簡単に全てを許してやるつもりはない。
焦らし、もっと欲しがらせることで、この男の価値(金)を極限まで引き出すのが俺のやり方だ。
「あっ……あの、社長さん」
腰に手が触れる直前で、私はくるりと振り返り、少し困ったような、でも愛おしそうな笑顔を向けた。
「今日は本当にありがとうございました! すごく夢みたいな時間でした。でも、私、これからサークルの集まりがあって……今日は帰らなきゃいけないんです」
「えっ……サークル? 今から?」
あからさまに狼狽する男。
俺は両手で大切そうにブランドの紙袋を抱え直し、男に一歩近づくと、耳元で小さく囁いた。
「連絡先……交換していただけますか? 次は、私から連絡します。社長さんと、もっとゆっくりお話ししたいです」
上目遣いでじっと見つめると、男の表情が一瞬で破顔した。
「あ、ああ! もちろん! LINE交換しよう!」
まんまと「次」の約束に騙され、鼻の下を伸ばしてスマートフォンを取り出す男。
連絡先を交換し、名残惜しそうにする男に何度も手を振りながら、俺はタクシーに乗り込んだ。
車窓から見える男の姿が小さくなっていくのを確認し、シートに深く身体を預ける。
「単純な男」
可憐な女子大生の声で冷ややかに呟き、膝の上に置いたブランド物の袋を撫でる。
今日の獲物はこれで十分だ。
このアオイの皮を使えば、あの男からはまだまだ引き出せる。
タクシーを行き先変更させ、別のセーフティハウスへと向かわせながら、俺は次の仕掛けをどう施すか、暗い愉悦とともに考えを巡らせていた。
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タクシーが向かったのは、都心の喧騒から少し離れた高級住宅街に潜む、マンションの一室。俺が所有する三つ目のセーフティハウスだ。
カードキーをかざして室内に入り、重厚な扉を閉めた瞬間、シン…と静寂が満ちる。
「ふぅ……」
手にしたブランド物の紙袋をリビングのローテーブルに放り投げ、俺は深いため息をついた。
可憐な女子大生「アオイ」として振る舞い、男の自尊心をくすぐり続けた緊張感が、ゆっくりとほぐれていく。
鏡の前に立ち、白いワンピースとカーディガンを脱ぎ捨てる。
鏡に映るのは、淡いピンクのレース下着に包まれた、華奢で儚げな少女の身体だ。
「……さて、脱ぐか」
首筋の裏側に指を立て、そっと爪を立てる。
じわり、と馴染んでいた皮膚が浮き上がり、滑らかな音を立てて『アオイの皮』が剥がれていく。
骨格が軋み、筋肉が盛り上がり、体格が一気に大きくなっていく。
小さかった体重がズシリと重みを増して床を押し、体温が男のそれへと戻っていった。
数秒後、鏡の前に立っていたのは、本来の俺――キヨヒコだった。
床に落ちたアオイの皮を丁寧に拾い上げ、皺を伸ばしてハンガーにかける。
まるで上質なドレスをお手入れするように、専用の保存液を軽く吹きかけてクローゼットの暗がりへと収めた。
「あのIT社長、すっかり気取ってたな……」
全裸のままソファに深く身を沈め、テーブルの上の紙袋から数十万円の洋服とバッグを取り出す。
男は「アオイちゃんに似合う」と言って誇らしげにカードを切っていたが、明日には裏の質屋へ持ち込まれ、きれいなさっぱり現金へと姿を変える運命だ。
スマホの画面が明滅した。
画面を見ると、先ほどLINEを交換したIT社長からメッセージが届いている。
『今日は楽しかったよ!サークルお疲れ様。来週、アオイちゃんの都合がいい日にまた美味しいお店に連れて行きたいな。返事待ってるね』
「相変わらず早いな……」
俺は冷ややかな笑みを浮かべ、画面を伏せた。
すぐに返信をしては価値が下がる。
明日の夜あたりに、「サークルが長引いちゃって返信遅くなりました……すごく楽しかったので、またお会いしたいです」とでも送っておけばいい。
焦らし、求めさせ、男が勝手に妄想を膨らませた頃に次の約束を取り付ける。
そうすれば、次はバッグどころか、さらに高額なジュエリーやマンションの準備金だって引き出せるかもしれない。
「人間なんて、皮一枚、欲望一枚でいくらでも転がせる」
闇の中に沈む部屋で、俺は静かにウイスキーのグラスを傾けた。
明日はどの皮を纏い、どんな愚かな獲物を狩りに出かけようか――。
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静寂が支配する、高級なアンティーク調のブックカフェ。
壁一面の本棚には、革装丁の古書がずらりと並び、芳醇な珈琲の香りが漂っている。
私は、窓際の席で、オドオドとした仕草でページをめくっていた。
今日の『皮』は、メガネをかけた、小柄な文学少女だ。
栗色のボブカットに、丸眼鏡。服装は、白いフリルのブラウスに、ネイビーのカーディガン、そして膝丈のチェックスカート。
どこからどう見ても、内気で、男性慣れしていなさそうな、守ってあげたくなるような少女そのもの。
だが、その清楚な服装の下には、小柄な体格からは想像もつかないほど、見事なプロポーションが隠されている。
『アヤカ』と名付けたこの皮は、この「ギャップ」が武器だ。
「……あ、あの、遅くなってごめんなさい」
小さな声を絞り出すようにして、私はうつむいたまま、向かいに座る男に声をかけた。
「全然。僕も今来たところだよ。アヤカちゃん、今日も可愛いね」
男は、仕立ての良いスーツを身にまとい、高級腕時計をこれみよがしに見せつけながら、鼻高々に笑った。
彼の名はショウタ。
父親が大企業の役員という、いわゆる「金持ちのボンボン」だ。
己の家柄と財力に絶対の自信を持ち、女性は金で思い通りになると思っている、単純で扱いやすい男だ。
「あ、ありがとうございます。その、ショウタさんに、こんな素敵なお店に連れてきてもらって、恐縮です……」
私はメガネを指で少し押し上げ、さらに顔を赤らめてみせた。
ショウタの自尊心は、私のこの「内気な反応」によって、最高潮に達している。
「ハハ、これくらい当然だよ。僕の周りには、こういう落ち着いたお店を知っている女性が少なくてさ。アヤカちゃんとなら、ゆっくり本の話もできそうだと思って」
「はい、私も、本が大好きなので……嬉しいです」
私は、膝の上で手をモジモジさせながら、か細い声で答えた。
(本の話なんて、これっぽっちもする気はないくせに。どうせ、この後の下心しか考えてないだろ)
アヤカの皮の内側で、俺(キヨヒコ)は冷ややかに独白した。
この男から、どれだけの金を毟り取れるか。それが今の俺の関心事だ。
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「アヤカちゃん、何か欲しい本とか、ある? 僕が全部買ってあげるよ」
ショウタは、まるで自分の庭を案内するかのように、自信満々に言った。
「えっ、そんな、悪いですよ……」
「いいから、遠慮しないで。僕にとって、アヤカちゃんの喜ぶ顔が見られるなら、安いものさ」
「……じゃあ、あの、あそこにある、限定生産の……豪華本、が……」
私は、恐る恐る、本棚の奥に鎮座する、数万円はしそうな、美しい装丁の洋書を指差した。
「ああ、あれね。わかった、買おう」
ショウタは迷うことなく、クレジットカードを取り出した。
その様子に、私は「わぁ……!」と、純粋に驚いたふりをして、尊敬の眼差しを向けた。
「すごい! ショウタさん、本当に、ありがとうございます……!」
「ハハ、これくらい、僕にとっては朝飯前だよ。アヤカちゃん、実はさ、この後、もっとすごいお店に連れて行きたいんだけど、どうかな?」
ショウタは、さらに身を乗り出し、下卑た笑みを浮かべた。
「えっ、もっとすごいお店、ですか?」
「ああ。君に似合う、もっと素敵な服や、ジュエリーを、僕が選んであげるよ。もちろん、君のその、素晴らしいスタイルを、もっと引き立てるような、ね」
ショウタの視線が、アヤカのカーディガンの上からでも分かる、豊かな胸の膨らみへと向けられた。
私の予感通り、彼は私の「意外なスタイルの良さ」に、すでに気づいている。
(やっと本性を現したか。いいだろう、その欲望、トコトン利用させてもらう)
私は、さらに顔を赤らめ、怯えたようにうつむきながら、小さく頷いた。
「はい、ショウタさんが、そう言うなら……」
「よし、決まりだ! さぁ、行こう!」
ショウタは、私の手を取り、強引に店を出た。
私は、彼の後ろを、オドオドとついて歩きながら、心の中で暗い愉悦に浸っていた。
清楚な文学少女の皮を被り、男の欲望を貪る。
この、スリルと全能感がある限り、俺のこの二重生活は、辞められそうにない。
次は、あの男から、どんな贅沢を毟り取ってやろうか。
俺は、ショウタの隣で、アヤカとしての可憐な笑顔を浮かべながら、次の獲物と次の計画を、冷徹に練り始めていた。
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連れてこられたのは、銀座のメインストリートから一本裏に入った、一見さんお断りのような重厚な店構えの高級サロンだった。
「さあ、入りなよ。ここのオーナーとは顔なじみでね」
ショウタは私の背中にそっと手を添え、優越感に浸った顔でエスコートする。
店内には、一般の店舗には並ばないようなハイブランドの特注品や、一点物のジュエリーが芸術品のように飾られていた。
「オーナー、彼女に似合う服を見繕ってよ。ちょっと背伸びした感じで……そうだな、彼女のその『隠れた魅力』がしっかり引き立つやつをね」
ショウタが下世話なウインクを交えて店員に指示を出す。
私は「隠れた魅力」という言葉にビクッと肩を震わせ、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆うような仕草をした。
(分かりやすい男だ。金持ちのドラ息子なんて、どいつもこいつも見栄と性欲の塊だな)
内気なアヤカの顔を真っ赤に染めながら、俺(キヨヒコ)は内心で鼻で笑った。
数分後、店員が恭しく運んできたのは、上品なネイビーでありながら、胸元が大胆に開き、ウエストのラインが強調されるタイトなニットワンピースだった。
「あ、あの……こんな大人っぽい服、私には……」
「絶対似合うよ。ほら、試着してきて」
半ば強引に試着室へ押し込まれる。
鏡の前で白いブラウスとカーディガンを脱ぎ、小柄な身体に不釣り合いなほど豊かな胸をピンクのブラジャーごとニットワンピースに押し込んだ。
生地が上質なおかげで、Iカップの柔らかな質量が服の上からでも生々しいほどに主張している。
丸眼鏡とボブカットの大人しい顔立ちとのギャップが、凄まじい破壊力を生み出していた。
恐る恐る試着室のカーテンを開けると、待ち構えていたショウタは、文字通り言葉を失って固まった。
彼の視線が、私の顔ではなく、はち切れんばかりの胸元と、キュッと引き締まった腰のラインに釘付けになっている。
「ショウタ、さん……? やっぱり、変、ですよね?」
私が上目遣いで涙声を作ると、彼はハッと我に帰り、興奮を隠しきれない声で叫んだ。
「最高だよ! アヤカちゃん、君、本当にすごいよ! オーナー、これと……あと、あのショーケースにあるダイヤのネックレスも包んでくれ! 彼女の胸元には、あれくらい輝くものがないとね!」
ポン、と数百万円の決済が完了する。
店を出る頃には、私の首元には冷たく重いダイヤモンドが輝き、手には高級ブランドの紙袋がいくつも握られていた。
「アヤカちゃん」
外に出た途端、ショウタの距離がグッと縮まった。
私の肩を抱き寄せ、耳元で甘く、そしてねっとりとした声で囁く。
「この後さ……うちのタワーマンションに来ないか? 最高の夜景を見ながら、その服を着た君と、もっと深い『文学』の話をしたいんだ」
(来たな。だが、今日のお前の役目は財布兼、荷物持ちだ)
私はビクッと身体を強張らせ、怯えた小動物のようにショウタの腕からスッと抜け出した。
「ご、ごめんなさい! 私、今日は門限が……お父さんがすごく厳しくて、いつも駅まで迎えに来てるんです! これ以上遅くなったら、もう外出させてもらえなくなっちゃう……」
目に涙を浮かべ、必死に懇願するような表情を作る。
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「厳しい父親に管理されている純真な箱入り娘」。
この設定を出されれば、プライドの高い金持ちのボンボンは無理強いできない。
ここで強引に迫れば、自分が安いナンパ師と同じに成り下がってしまうからだ。
「えっ……あ、そうなんだ。お父さんが厳しいなら、仕方ないね……」
「本当にごめんなさい……ショウタさんにこんなに良くしていただいたのに……」
私が深く頭を下げると、ショウタは舌打ちしたい気持ちを必死に飲み込み、余裕のある男を演じるための薄ら笑いを浮かべた。
「いいよいいよ、今日は君の素敵な姿が見られただけで大満足さ。でも、次はゆっくり時間を作ってね?」
「はい! 次は、必ず……」
未練たらしく見送るショウタに何度も頭を下げながら、私は足早にタクシーを拾った。
ドアが閉まり、車が走り出した瞬間。
私は丸眼鏡を外し、シートに深く沈み込んで、フッと冷たい息を吐き出した。
「チョロい男。あのダイヤだけで、いくらになるかな」
アヤカの可憐な声のまま、首元のネックレスを指先で弾く。
タクシーが向かうのは、四つ目のセーフティハウス。
部屋に戻れば、この小柄な身体とも、鬱陶しいピンクの下着ともお別れだ。
皮を脱ぎ捨て、本来の男の身体に戻って飲む酒の味は、今日も間違いなく格別だろう。
次はどの街で、どの皮を着て遊ぼうか。
窓の外を流れるネオンサインを眺めながら、俺は次のゲームの構想を練り始めた。