192c9a9a No.4297
その日、駅の雑踏はいつもより騒がしく感じられた。俺はただ、日常の倦怠から逃れる何かを求めて、無目的に歩いていた。
下りのエスカレーターに乗ろうとしたその時、前を歩く女性の背中が目に飛び込んできた。
黒い長袖のトップスに、身体のラインを強調する白いタイトスカート。
足元は白のハイヒール。後ろ姿だけで、洗練された都会の女性だと分かった。彼女は凛として、エスカレーターのステップを一段ずつ上がっていく。
俺の心臓が、ドクンと大きく波打った。
(……決めた)
それは唐突な、けれど確固たる決意だった。
以前から少しずつ試していた、あの『TSF(転生・性転換)憑依術』を、この女性に試してみよう。
俺は精神を集中させ、指先から自身の魂の、ほんの一欠片を切り離した。
不可視の、淡い光を帯びたエネルギー体。
それを、前を歩く彼女の背中目掛けて、静かに放った。
魂のカケラは、彼女の背中にスッと吸い込まれていった。
手応えは、あった。
(よし……!)
心の中でガッツポーズを決める。
だが、表面上、彼女には何の変化も見られない。当然だ。
この術の肝は、相手に気づかれずに、徐々に精神を浸食していくことにある。
確認のため、俺は小走りで彼女の横に並び、声をかけた。
「あの、すみません。ちょっとお聞きしたいんですが……」
彼女は足を止め、ゆっくりと振り返った。
駅の明るい照明の下、現れたのは、整った、けれど冷ややかな顔立ちだった。
彼女は俺を見ると、すぐに露骨な嫌悪感を表情に浮かべた。
眉をひそめ、唇を一文字に結び、目は「不審者を見る目」そのものだった。
「……何ですか? 警察、呼びますよ」
冷たい声が返ってきた。
俺はとっさに、「あ、いえ、何でもないです。人違いでした」と頭を下げて、その場を離れた。
心臓はバクバク言っていた。
(くそっ……失敗か)
本体である俺は、落胆した。
彼女の自我があまりに強すぎて、俺の魂のカケラは弾き出されてしまったのだと思った。
俺はそのまま、トボトボと駅の改札を出て、自分のアパートへと向かった。
――だが、本体の俺は、気づいていなかった。
あの時、不審者を見る目で俺を睨んだ彼女の、その心の奥底で。
俺の放った魂のカケラは、弾き出されるどころか、彼女の精神の核へと、深く、深く潜り込んでいたのだ。
192c9a9a No.4298
(ふふ……馬鹿な本体め)
ここからは、彼女の中に生まれた、新しい『俺』の意識の独白だ。
(あの『不審者扱い』の表情は、完璧だったな。これで本体は、完全に『失敗した』と思い込んだはずだ。……すべては、計画通り)
そう、この『失敗』こそが、俺の、真の『TSF憑依計画』の第一段階だったのだ。
本体に成功を悟られれば、すぐに精神の主導権を奪い合わなければならなくなる。
それは、憑依が完了していない今の段階では、非常に危険だ。
だからこそ、俺は自身の分身であるカケラに、あえて『不審者として振る舞い、拒絶される』という演技を求めたのだ。
本体を騙し、無防備な状態で、彼女の精神を内側から完全に掌握する。
これこそが、俺の『完璧な憑依』の策略だ。
「……何、今の男。気持ち悪い」
彼女は小さく毒づきながら、また駅の雑踏へと戻っていく。
その足取りは、先ほどと変わらず凛としている。
だが、その内側では。
俺の魂のカケラが、彼女の精神を、少しずつ、けれど確実に、侵食し始めていた。
彼女の記憶、彼女の感情、彼女の思考回路……。
それらが、俺の意識と混ざり合い、少しずつ上書きされていく。
電車に揺られている間、彼女はふと、自分がいつもとは違う、奇妙な感覚に襲われていることに気づいた。
(あれ? 私、なんで今、左手に鞄を持ってるんだっけ? いつも右なのに。それに、なんだか、急にラーメンが食べたくなってきた。私、ラーメンなんて全然好きじゃないのに)
それは、俺の趣味嗜好が、彼女の意識に影響を与え始めている証拠だった。
彼女自身の自我は、まだその異変に気づいていない。
駅から自宅へと歩く夜道。
彼女の精神の侵食率は、すでに五十パーセントを超えていた。
(視界が、いつもより低い気がする。それに、このヒール、歩きにくいな。……早く家に帰って、靴を脱ぎたい)
それは、俺の身体感覚が、彼女の肉体と完全に同調し始めていることを意味していた。
彼女の歩き方は、無意識のうちに、俺の歩き方に似てきている。
カチャリ。
自宅のアパートのドアを開け、鍵を閉めた瞬間。
「……ふぅ、疲れた」
彼女の口から出たその声は、もう、以前の彼女の声ではなかった。
少し低く、どこか男性的で、けれど、彼女の身体から発せられる、不思議な魅力を持った声。
彼女は靴を脱ぎ、部屋の中へと入っていく。その足取りは、完全に俺のものだった。
(計画完了。……さて、俺の『新しい身体』を、じっくりと観察させてもらおうか)
部屋の隅にある、大きな姿見の前に立つ。
そこには、駅のエスカレーターで見かけた、あの洗練された女性が立っていた。
黒いトップス、白いスカート、白いハイヒール。
けれど、鏡に映るその表情は、先ほどの『不審者を見る目』ではなく。
どこかニヒルで、自信に満ち溢れた、俺の、新しい『俺』の笑みだった。
「……完璧だ。これなら、誰にも疑われない」
俺は、自分の身体(今は俺の身体)を撫で回しながら、声高らかに笑った。
本体の俺は、今頃自分の部屋で、敗北感に浸っていることだろう。
まさか、自分が騙されていたとも知らずに。
悪いな、本体(俺)。
この『彼女』の人生は、今日から、俺が、完全に俺のものとして、満喫させてもらうぜ。
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さて、身体の完全なコントロールは手に入れた。
だが、これだけではまだ「完璧」とは言えない。
彼女の人間関係、職場、パスワード、日々の習慣。
それらを引き継がなければ、明日からの生活ですぐにボロが出る。
「まずは、この体の『記憶』をいただくとするか」
俺の脳裏には、かつて読み漁ったTSF同人誌の知識がフラッシュバックしていた。
(たしか、よくある王道パターンだと『強烈な快感、あるいは未知の感覚による脳へのショック』が、肉体に眠る記憶のロックを解除する鍵になるんだよな)
俺はニヤリと笑うと、タイトスカートのジッパーに手をかけた。
ブラウスのボタンを外し、スカートを滑り落とす。
現れたのは、駅で見かけたクールな印象とは裏腹な、黒と白のコントラストが目に鮮やかなランジェリーだった。
繊細な黒いレースがあしらわれた白い生地は、彼女の透き通るような肌をいやらしく、かつ上品に引き立てている。
(外見は堅物そうなのに、下はこんなセクシーなものを身につけていたとはな。たまらんギャップだ)
俺は全身鏡に映る、下着姿の自分の――いや、「新しい俺」の姿をじっくりと観察した。
引き締まったウエストから、柔らかな曲線を描くヒップ。
そして、黒と白のブラジャーに窮屈そうに収まる、豊かな膨らみ。
ゴクリ、と無意識に喉が鳴った。
俺は両手をゆっくりと持ち上げ、その胸の膨らみを、下からそっとすくい上げるように揉み上げた。
「……っ!?」
その瞬間、指先から伝わる圧倒的な『柔らかさ』と『重み』、そして胸側から脳へと逆流してくる『触られている』という強烈な未知の感覚が、バチバチと火花を散らして神経を駆け巡った。
男の身体では絶対に味わえない、甘く痺れるような感覚。
それが脳のキャパシティを一瞬でオーバーフローさせ、強烈なスパークを引き起こす。
――バツンッ!
頭の中で、何かのストッパーが弾け飛ぶ音がした。
同時に、目の前が真っ白になり、圧倒的な情報量が怒涛の勢いで脳内に流れ込んでくる。
名前は、結城 凛(ゆうき りん)。26歳。
職業は、都内のIT企業に勤めるUIデザイナー。
趣味は、深夜にこっそり食べる激辛ラーメンと、休日のヨガ。
現在の悩みは、直属のプロジェクトマネージャーがやたらと食事に誘ってくること。
そして、この黒と白のランジェリーは、先週末に「気合いを入れるため」に買ったばかりのお気に入り――。
「はぁっ、はぁっ……!」
数秒か、あるいは数分か。
情報の波が収まった後、俺は鏡に手をつき、荒い息を吐いていた。
「成功、だ。全部、思い出した……いや、『俺の記憶』になった」
鏡に映る結城凛は、汗ばんだ肌と少し潤んだ瞳で、艶やかな笑みを浮かべている。
同人誌の知識も捨てたもんじゃない。
あの強烈な感覚のショック療法は見事に功を奏し、俺の魂は結城凛の脳髄と完璧にリンクを果たしたのだ。
「明日からは、俺が『結城凛』として完璧に生きてやるよ。ウザい上司も、この美貌と俺の計算高さで上手くあしらってやるさ」
胸の谷間を指でなぞりながら、俺は悪女のように微笑んだ。
本体の俺(アイツ)は今頃、この極上のボディと生活を逃したことも知らずに眠っているのだろう。
192c9a9a No.4307
記憶がリンクしたことで、脳裏にある「特定の情報」が鮮明に浮かび上がってきた。
凛が誰にも言えない秘密として、ベッド脇のサイドテーブルの奥深くに隠していた小さなピンク色のローター。
「へえ、こんなものを隠し持っていたとはな……」
引き出しの奥から取り出したそれを手に取り、スイッチを入れると、指先に心地よい微振動が伝わってきた。
鏡の中の自分——いや、凛の瞳は、どこかトロリと熱を帯びている。黒と白のブラジャーからはみ出た胸の先端は、すでに自覚症状のようにキュッと硬く尖っていた。
「試してみるか。凛の『お気に入り』の感覚を」
先端に静かにローターを押し当てた瞬間、全身を雷が駆け抜けたような強い快感が弾けた。
「ん……ッ!? ……ぁっ……」
男の時には想像もつかなかった繊細で甘い刺激が、脳髄を痺れさせていく。
あまりの心地よさに、思わず可愛らしい喘ぎ声が漏れそうになるが、俺は慌てて口元を細い腕で覆った。
ここはアパートだ。
隣の部屋にこの声が聞こえたら、いくら完璧な美女でも台無しになってしまう。
(くっ……声、出ちゃいそうだ……ッ。でも、ダメだ!)
歯を食いしばり、必死に声を押し殺しながら、快感の波に身を任せる。
声を我慢すればするほど、背筋を駆け上がるゾクゾクとした感覚は増幅していった。
俺の男としての意識と、凛としての肉体感覚が完全に溶け合い、やがて視界が真っ白になるほどの強い波が押し寄せた。
「んむぐぅ……ッ……!」
身体が小さく跳ね、荒い息をつきながら、俺は鏡の前でへたり込んだ。
汗ばんだ肌と、赤らんだ頬。鏡に映るその姿は、どこからどう見ても快感に溺れた一人の艶やかな女性そのものだった。
「ふぅ、ふぅ……やばいな、これ……癖になりそうだ」
火照った体を静めるため、俺は使用済みの下着を脱ぎ捨て、クローゼットへと向かった。 観音開きの扉を開け、下着がしまわれている引き出しの中には色とりどりのブラとショーツが綺麗に並べられている。
「さて、明日はどれを着て出かけるとするかな」
シルクの質感、繊細なレース、シックなネイビーに可愛らしいピンク。
これまでは「見る側」だった女性下着を、これからは「自分で選んで身につける」という新しい楽しみ。
胸の奥がキュンと鳴るような独特の高揚感を覚えながら、俺は指先でゆっくりと下着を物色し始めた。
192c9a9a No.4308
指先がクローゼットに並ぶレースの上を滑る。
脳内の記憶を検索すると、「ふだんの凛なら、迷わず使い勝手の良いシンプルな黒を選ぶ」という答えが返ってきた。
無難で洗練された、彼女らしい合理的な選択だ。
だが、今の俺はただの凛じゃない。
「ふふ、せっかくの新しい人生なんだ。少し冒険したってバチは当たらないだろ」
俺が手にとったのは、大人っぽい繊細なレースが施された淡いピンクのランジェリー。
記憶を手繰り寄せると、先週末に彼女が『ここぞという時の勝負下着』として、少し緊張しながら購入したものだった。
結局使う機会がないまま眠っていたそれを、俺が最初に解禁してやるのだ。
「明日はこれを着て出社か……想像するだけでワクワクしてくるな」
勝負下着を脱衣所にセットすると、そのままバスルームへ向かった。
洗面所の鏡の前に立ち、凛の記憶が教えてくれる通りのルーティンを始める。
クレンジングオイルをポンプから手にとり、なめらかな指つきで顔全体になじませていく。
じわじわと浮き上がるファンデーションやアイライン。
ぬるま湯で丁寧に洗い流すと、鏡の中には、化粧を落としてもなお透明感あふれる、無防備で美しい素顔が現れた。
(すっぴんでこのクオリティかよ……本当にどこをとっても極上だな)
髪をクリップでサッとまとめ、浴室のドアを開ける。
温かい湯気と、凛が愛用しているフローラルハーブの甘い香りが脱衣所まで溢れ出してきた。
シャワーを浴び、泡立てたスポンジで身体を丁寧に洗っていく。
指先が滑らかな鎖骨から豊満な胸、そして深くくびれた腰のラインを辿るたび、先ほどのローターの余韻が微かに背筋をくすぐった。
自分自身を洗っているはずなのに、どこか他人の身体を愛撫しているような、甘い錯覚が抜けきらない。
「明日の朝のメイク、ちゃんと記憶通りに再現できるかな……まあ、身体が覚えてるだろ」
湯船に肩まで浸かり、火照った身体をじんわりとほぐしながら、俺は明日から始まる「結城凛としての日常」に思いを馳せて、不敵にニヤリと笑った。
192c9a9a No.4313
ピピピと電子音が鳴り響く前に、俺の意識は覚醒した。
肌に触れるシーツの滑らかさと、胸元に感じる心地よい重み。
目覚めた瞬間、自分が極上の美女「結城凛」になっている事実が、甘い快感となって脳を刺激する。
「さて……勝負の初出勤と行きますか」
まずは洗面所の鏡の前に立ち、スキンケアとメイクに取りかかった。
正直、男だった俺に女性の複雑なメイク技術なんて分かるはずもない。
だが、不安は一瞬で吹き飛んだ。
化粧水を肌に馴染ませ、ファンデーションを滑らせる指先は、まるで熟練の職人のように滑らかに動く。
記憶と体が完璧にリンクしているおかげで、アイラインの一筋、リップの塗り加減に至るまで、何の問題もなく完璧にこなすことができた。
鏡の中に、透明感のある美しい素顔が、完璧なオフィス仕様の顔へと仕上がっていく。
部屋に戻り、いよいよ昨夜選んだあの淡いピンクの勝負下着を身につける。
「よし……こうやって、寄せて上げると」
ブラジャーのカップの中に手を差し入れ、脇や背中から肉をぐっと寄せ集める。
美しい谷間が強調され、胸のシルエットが劇的に変わる。指先に伝わる柔らかな感触に、思わず息が漏れそうになった。
続いて、繊細なストッキングに足を通す。
スーッと引き上げていく途中、ショーツのラインが股ぐりやお尻に少し食い込む不快感があった。
「あー……これ、女の奴らがよくやってるやつか」
記憶の通り、俺は履きかけたストッキングの中にすっと腕を滑り込ませた。
薄いナイロン生地のの内側に手を入れ、食い込んだショーツの生地を手際よく引っ張り上げて位置を調整する。
お尻の肉を包み込むように整えると、すっきりと収まりが良い位置に落ち着いた。
仕上げに、オフィス用のセミカジュアルなブラウスと、体のラインを程よく引き立てる膝丈のスカートを着用する。
姿見の前に立ち、全身をチェックした。
大きな鏡に映っていたのは――どこからどう見ても、洗練された都会の働く女性、普段の「結城凛」そのものだった。
隙のないメイク、上品で少しセクシーな服装、そして凛とした立ち姿。
外見も、仕草も、何一つ破綻していない。完璧な変装、いや、完璧な憑依だ。
(ふふっ……誰も、中身が入れ替わってるなんて気づきもしないだろうな)
鏡の中の凛が、薄く可憐な唇の端を少しだけ吊り上げて、不敵に微笑む。
黒のヒールに足を通し、玄関のドアを開けた。
カツン、と朝の廊下に硬いヒールの音が心地よく響き渡る。
会社に「新しい結城凛」を魅せつけるために、俺は颯爽と街へと踏み出した。
192c9a9a No.4314
駅に到着し、いつものように混雑する改札へと足を向ける。
カツン、カツンと硬いヒールの音を心地よく響かせながら歩いていると、改札の手前でふと奇妙な視線を感じて立ち止まりそうになった。
視線の先にいたのは――なんと、俺の「本体」だった。
昨夜、憑依に失敗したと思い込んで凹んでいたはずの俺の男の体だ。
ボサボサの髪にどこかくたびれた服を着て、改札の脇で手持ち無沙汰そうにスマホをいじっている。
だが、その目はチラチラとこちらに向いていた。そして、俺――いや、結城凛が近づくにつれ、その視線ははっきりと俺の全身に固定された。
(マジかよ……まだ諦めきれずに、ここで張り込んでたのか?)
本体の奴は、首を傾げながら穴が空くほどこちらを見つめてくる。
昨日の「冷たい拒絶」にどこか納得がいかず、術の手応えの残像を確かめたくて未練がましく待っていたのだろう。
(哀れな本体め。まさか目の前を歩く美少女の中身が、お前が切り離した魂に乗っ取られているとは夢にも思ってないだろうな)
俺は心の中でニヤリと笑いを噛み殺した。
動揺を一切顔に出さず、背筋をスッと伸ばして凛とした歩調を保つ。
目線はまっすぐ前方へ向け、本体の存在など最初から視界に入っていないかのように振る舞った。
徹底して「無関心な他人」を演じ切るのが最善策だ。
すれ違いざま、本体の視線が俺の胸元や、風に揺れる髪、そして今日のために仕込んだピンクの勝負下着が作る美しいシルエットに注がれるのが分かった。
すれ違いざまに漂うハーブの香水の香りに、本体が一瞬、ハッとしたように息をのむ気配が伝わってくる。
俺は完璧なスルーを決め込み、涼しげな顔のまま本体のすぐ横を通り過ぎた。
改札にICカードをタッチし、ホームへ向かうエスカレーターに乗る。
ちらりと見下ろすと、本体は改札の外で、俺の遠ざかる後ろ姿を悔しそうに、そしてどこか羨望の入り混じった目で見送っていた。
(悪く思うなよ、本体。お前を出し抜いて手に入れたこの極上の体で、俺はこれから会社に行って『結城凛』の人生を完璧に楽しんでくるぜ)
ホームに滑り込んできた電車のドアが開く。
俺は優雅な足取りで車内へと乗り込み、吊り革を掴んだ。
窓ガラスに映る自分――隙のないメイクと洗練された装いに身を包んだ「結城凛」と目が合う。
不敵な笑みをかみ殺しながら、俺はオフィス街へ向かう電車に揺られ始めた。
192c9a9a No.4316
乗車したのは、凛の記憶にある毎朝の定位置――女性専用車両だ。
周りを見渡せば、どこを見ても女性ばかり。
甘い香水の香りやシャンプーの匂いが微かに漂う空間に、俺も当然のような顔をして溶け込んでいる。
(誰も俺の中身が男だなんて、微塵も疑っちゃいないな)
窓ガラスに映る自分を見る。
洗練されたメイクに、勝負下着の上から着こなしたオフィスカジュアル。
周囲の女性たちと比べても頭一つ抜けたスタイルの良さに、密かな優越感が込み上げてくる。
誰一人として俺を不審に思う様子はなく、隣に立つ女性はスマホに夢中なままだ。
不意に、男だった頃の邪悪な好奇心が頭をもたげた。
一般車両に移って、この艶やかな肉体で男どもを惑わせたり、あるいは思わせぶりな隙を見せて誘惑してみるか――?
(いやいや、待て待て。そんな刺激的なお遊びは、まだ後にとっておけばいい)
今はまず、結城凛としての完璧な日常を手に入れ、この極上のボディをじっくりと噛みしめるのが先決だ。
焦ってボロを出す必要はどこにもない。
車内アナウンスが目的地の駅名を告げる。
吊り革を握る細くしなやかな指先と、綺麗にケアされたネイルを見つめながら、俺は口元に浮かびそうになる不敵な笑みを必死に噛み殺した。
69b2dc2d No.4358
#ご指摘ありがとうございました。
23df34ea No.4362
オフィスビルに到着し、凛の記憶が導くままに女性社員用の更衣室へ足を踏み入れた。
割り当てられた自分のロッカーを開け、通勤用のバッグを押し込む。
ふと周囲を見渡すと、室内にはすでに何人かの女性社員がいて、着替えや身だしなみ直しの真っ最中だった。
「あー、今日も外暑すぎ! もうブラの中まで汗かいちゃったよー」
「わかるー。私なんて駅からの数分でメイク溶けた気がするし」
男の気配が一切ない、女性だけの閉鎖空間。
そこには男社会では絶対にお目にかかれない、特有の「油断しきった空気」が充満していた。
制服のベストに着替えるためブラウスを無造作に脱ぎ捨てる者、ストッキングを履き直すためにスカートを限界までたくし上げている者。
かがんだ拍子にチラリと覗く色とりどりの下着や、深い谷間。
彼女たちは同性しかいない気安さからか、下着が見えていようが全く気にする様子がない。
(すげえ。女の更衣室って、本当にここまで無防備で大胆なのか)
男だった頃なら一瞬で鼻血を出して倒れそうな光景だが、今の俺の外見は完璧な『結城凛』だ。
誰一人として俺に不審な目を向ける者はおらず、俺も涼しい顔を崩さずに、内心でだけこの極上のシチュエーションをたっぷりと堪能した。
「さてと、俺も準備するか」
小さく呟き、ロッカーの扉裏についた鏡と向き合う。
通勤で少し崩れた髪を手ぐしでサッと整え、夏場特有のじんわりとした汗を清涼感のあるボディシートで拭き取った。
ひんやりとした制汗スプレーを手に取り、首筋から胸元のデコルテにかけてシューッと吹きかける。
(んっ……冷たくて気持ちいい。この香りも、すっかり俺の匂いって感じだ)
ブラウスの隙間から、今朝身につけたピンクの勝負下着のレースがわずかに覗く。
それを手際よく直し、最後に軽くリップを引き直して唇にツヤを与えた。
パチン、とロッカーの扉を閉める。
その小気味良い音が、俺の脳内スイッチをカチリと切り替えた。
(よし!ここからは完全に『仕事モード』だ。デキる女、結城凛の幕開けだな)
「あ、凛ちゃん! おはようー!」
気合いを入れた直後、ポンと肩を叩かれた。
振り返ると、同期の麻衣が人懐っこい笑顔で立っていた。
彼女もブラウスのボタンを胸元まで開けたまま、無防備な姿でメイク直し用のポーチを抱えている。
「おはよう、麻衣。今日も暑いね」
記憶から彼女のパーソナリティを引き出し、俺は淀みなく、いつもの凛のトーンで微笑み返した。
「ほんとそれ! 駅から歩くだけでサウナかと思ったよー。っていうか凛ちゃん、今日なんか雰囲気違くない? いつもより、こう……色っぽいっていうか、キラキラしてる!」
「そう? メイクを少し変えてみたからかも。それに、今日はちょっと気合いを入れたくて」
「えー! なになに、デート!? もしかして、例のウザいプロジェクトマネージャーの誘い、ついに根負けしてOKしちゃったとか!?」
「まさか。あんなおじさんの誘いに乗るわけないじゃない。ただの気分転換よ」
「あはは、だよねー! 凛ちゃんがあのオジサンに靡くわけないし! あ、そういえば聞いた? 営業の佐藤くんがさ、今度うちの部署の……」
麻衣の他愛のない社内ゴシップを聞きながら、俺は相槌を打ち、ふふっと上品に笑い声をあげた。
(完璧だ。長年付き合いのある同期でさえ、俺が中身ごと入れ替わっていることなんて欠片も気づいていない。むしろ『色っぽくなった』とすら感じている)
女同士のとりとめもない会話。香水と化粧品の匂い。
この刺激的で甘い日常が、今日から完全に俺のものなのだ。
「……ねえ凛ちゃん、聞いてる?」
「ええ、聞いてるわよ。それで、佐藤くんがどうしたの?」
俺は女友達との会話を心から楽しみながら、更衣室を出てオフィスへと向かった。
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オフィスでの業務は、拍子抜けするほど完璧だった。
UIデザイナーとしての凛のスキルは、俺の思考と完全に同期していた。
マウスを滑らせ、キーボードを叩く細い指先は迷いなく動き、複雑なデザインツールもまるで長年使い込んだ手足のように自在に扱える。
(ふん、凛の奴、見かけによらずかなり優秀じゃないか。まあ、その優秀な頭脳もキャリアも、今は全部『俺』のものだけどな)
心地よい優越感に浸りながらサクサクとタスクをこなし、時計の針が定時の少し前を指した頃だった。
「お疲れ様、結城さん。今日も遅くまで頑張ってるねぇ」
背後から、ねっとりとした不快な声が降ってきた。
同時に、俺の右肩にポンッと無遠慮な男の手が置かれる。
記憶が即座に警告を発した。例のウザい直属のプロジェクトマネージャーだ。
(うわっ……キッツ)
記憶から引き出された女性としての嫌悪感と、俺自身の男としての生理的な拒絶反応が混ざり合い、背筋にゾワリと鳥肌が立った。
いつもなら、波風を立てないように愛想笑いを浮かべ、適当な理由をつけてやんわりと躱すのが「結城凛」の処世術だった。
だが、今日の俺は一味違う。
俺はタイピングする手をピタリと止め、ゆっくりとオフィスチェアを回転させてマネージャーを見上げた。
「……何かご用ですか?」
「いやね、この後の予定どうかなって。駅前に美味しいイタリアンの店を見つけたんだよ。最近、結城さんもプロジェクトで少しお疲れみたいだし、ここらでパーッとさ」
ニヤニヤと笑いながら顔を近づけてくるマネージャー。
俺は、肩に乗せられたその手を、あからさまに嫌そうな手つきでピシャリと払いのけた。
「えっ……?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、遠慮しておきます」
乾いた音が響き、マネージャーが間の抜けた声を漏らす。
俺は極限まで温度を下げた冷ややかな視線で、彼の目を真っ直ぐに射抜いた。
「私、仕事とプライベートは完全に分けたい主義なんです。それに――」
あえて少しだけ声を張り、周囲の席にも聞こえるようなトーンで言い放つ。
「業務に無関係なボディタッチは非常に不快なので、二度とやめていただけますか?」
周囲の空気が、一瞬ピーンと凍りついた。
隣の席の同僚たちが、キーボードを打つ手を止めて驚いたようにこちらをチラ見している。
いつもはおとなしく誘いを躱していた凛からの、予想外の強烈なカウンター。
マネージャーは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり、みるみるうちに顔を真っ赤にして後ずさった。
「あ、あぁ……ご、ごめん。べ、別に他意はなかったんだ。そ、それじゃあお疲れ!」
周囲の冷たい視線にいたたまれなくなったのか、逃げるように自分のデスクへと去っていく背中を見送りながら、俺は内心で腹を抱えて笑った。
(ひっひっひ、ざまぁみろ。極上の美女に見下されて、大勢の前で恥をかく気分はどうだ? あー、最高にスッキリしたぜ)
それから数十分後。
定時を告げるチャイムが社内に鳴り響いた。
俺はやり終えたデザインデータを保存し、PCをシャットダウンする。
「お先に失礼します」
周囲に美しく響く凛の声で挨拶を済ませ、デスクを立つ。
同僚の麻衣が「凛ちゃん、さっきの凄かったね! スッキリしたー!」と小声で親指を立ててきたので、ふふっと上品なウインクで返しておいた。
更衣室でロッカーを開け、通勤用のバッグを肩にかける。
今日の仕事はこれでおしまいだ。ウザい上司も完膚なきまでに撃退し、業務も完璧にこなした。体調も気分も絶好調。
(さてと。最高の気分のまま、この極上ボディで少し夜の街をブラついて帰るか。それとも、まっすぐ家に帰って、昨日の続きで『自分』の体をたっぷり可愛がってやるか……)
オフィスのエントランスを抜け、夕暮れの風が吹き抜ける街へと踏み出す。
ピンクの勝負下着に包まれた胸をツンと張りながら、俺は誰にも気づかれないように、ひっそりと不敵な笑みを浮かべた。
23df34ea No.4369
夕闇が迫るオフィス街。駅へ向かう足取りは、朝よりもさらに軽やかだった。
すれ違うサラリーマンたちの視線が、チラチラと俺の顔や足元に吸い寄せられているのがわかる。
(ふん、見とれてる見とれてる。でも残念だったな、この極上ボディの中身は、お前らと同じ男なんだよ)
そんな優越感を胸に秘めながら、俺はふと足を止めた。
まっすぐ家に帰って昨日の続きを楽しむのも悪くないが、今日は初陣の完全勝利記念だ。少し寄り道をして帰るのも一興だろう。
凛の記憶を探ると、通勤ルートの途中にある、少し敷居の高そうなオーセンティック・バーの存在が浮かび上がった。
普段の凛なら「一人で入る勇気がない」と通り過ぎていた店だ。
「……行ってみるか。今の俺なら、怖いものなんて何もないしな」
重厚な木の扉を押し開けると、落ち着いた照明とジャズの音色が俺を迎えた。
店内にいた数人の客とマスターの視線が、一瞬にして俺(凛)に釘付けになったのがわかった。
俺は男だった頃なら絶対に気後れしていたであろうその空間を、堂々とした足取りで進み、カウンターの端に優雅に腰を下ろした。
「マティーニを。……少し、強めで」
涼しげな声で注文する。
グラスを傾ける仕草すら、脳内のUIデザイナーとしての美意識と、男としての計算高さが相まって、完璧に妖艶に決まった。
案の定、五分も経たないうちに、少し離れた席にいた身なりのいいエリート風の男が声をかけてきた。
「隣、いいですか? もしよければ、一杯ご馳走させてください」
男の視線は、俺の首筋や、ブラウスの隙間から微かに透けるピンクのレースにねっとりと這い回っている。
昔の俺ならコンプレックスを刺激されそうなイケメンだが、今の俺の前ではただの滑稽な『発情したオス』でしかない。
「……ふふっ、ありがとうございます。でも」
俺は男の目を真っ直ぐに見つめ、わざと色っぽく微笑みながら、小悪魔のように囁いた。
「私、今夜はこの後『とびきり愛してくれる人』との予定が控えているんです。だから、ごめんなさい」
男は一瞬ポカンとし、やがて顔を真っ赤にして「そ、そうですか……失礼しました」と慌てて引き下がっていった。
(ひゃはは! 傑作だ! あの手のエリート男が、俺の一言でタジタジじゃないか。美貌っていう最強の武器、マジで半端ねえな!)
男を適当にあしらった余韻を楽しみながら、カクテルを飲み干して店を出る。
夜の街を歩きながら、俺の体は奇妙な熱を帯びていた。
男の欲情した視線を浴びたこと、そして自ら口にした「とびきり愛してくれる人」――つまり『俺自身』との夜を想像したことで、体の奥底が疼き始めているのだ。
歩くたびに勝負下着の繊細なレースが敏感な肌をかすめ、甘い電流を走らせる。
ストッキングの締め付けすら、今はもどかしい。
(くそっ……こんなことで感じちまうなんて。凛の体、どんだけ感度がいいんだよ)
少し早足になりながらマンションにたどり着き、急ぐように鍵を開けた。
玄関のドアを閉め、チェーンをかけた瞬間。
俺はもう、完璧なキャリアウーマンの仮面を投げ捨てた。
「はぁっ、はぁっ……あつっ……」
ヒールを蹴り脱ぎ、這うようにしてベッドルームへ向かう。
ブラウスのボタンを乱暴に外し、タイトスカートのジッパーを下ろして脱ぎ捨てると、昨夜選んだ淡いピンクのレース下着が姿を現した。
全身鏡に映る自分は、酒と欲情で頬を赤く染め、瞳をトロンと潤ませた、絶頂寸前のメス顔だ。
「待たせたな、俺の体。今日は一日、よく頑張ったご褒美をたっぷりくれてやるよ」
俺はベッドに倒れ込みながら、サイドテーブルの引き出しに手を伸ばした。
今日一日の完璧な勝利と、この極上のボディを一人占めする絶対的な優越感。
ウザい上司も、街の男たちも、そして何より本体の俺すらも置いてきぼりにして。
「んっ……あぁっ……!」
誰にも邪魔されない、俺と俺だけの甘く長い夜が、再び幕を開けた。
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ベッドに倒れ込んだ俺は、すぐさま起き上がり、部屋の隅にある大きな姿見の前へと移動した。
床にへたり込み、鏡の中の自分と真正面から向き合う。
記憶によれば、普段の凛はいつも部屋の明かりを落とし、目を閉じて、今をときめく人気のイケメン俳優を甘くイメージしながら、この密やかな行為を楽しんでいたらしい。
真面目な彼女らしい、どこか乙女チックで可愛らしい秘密だ。
「……だけど、今日の俺は違う」
俺は手にしたローターのスイッチを入れた。
ヴンッ、と心地よい振動音が静かな部屋に響く。
こんなにも極上の『オカズ』が目の前にあるというのに、わざわざ見ず知らずの男の顔を思い浮かべるなんて勿体ないにもほどがある。
淡いピンクのレース越しに、振動する先端をそっと押し当てる。
いきなり強い刺激を与えるのではなく、あくまで焦らすように、丁寧に。
押し当てる角度を変えながら、ねっちりとした執拗な刺激をじっくりと与えていく。
「んっ……ぁ、ああっ……んんっ……」
静かな部屋に、甘く色っぽい喘ぎ声がこぼれ落ちた。
自分で出しているはずなのに、耳に届くその声は信じられないほど愛らしく、そして淫らだ。
声を聞くたびに、さらに体の奥底がキュンと締め付けられる。
鏡の中を見つめる。
そこに映っているのは、乱れた髪と、熱を帯びて潤んだ瞳、そしてピンクの勝負下着から溢れんばかりの白い胸を上下させて喘ぐ、絶世の美女の姿。
俺は今、男としての『視覚的な興奮』と、女としての『肉体的な快感』を同時に味わっているのだ。
「はぁっ、はぁ……すごい、な……っ。この体、どんだけエロいんだよ……っ」
鏡に映る自分自身のメス顔を見るたびに、男としての背徳的な興奮が脳を焼き切る。
そしてその興奮が、凛の身体の感度をさらに何倍にも引き上げていく。
視覚からの欲情と、肉体からの快感が、完全に無限ループに入っていた。
「あっ、あぁっ! だめ、これ……っ、気持ち、よすぎ……っ!」
ねっちりとした執拗な振動が、ついに臨界点を突破する。
俺は自分自身の艶やかな姿から目を逸らすことができないまま、大きく背中のアーチを反らせた。
「んんんっーーーッ!!」
甘く高い悲鳴のような喘ぎ声とともに、目の前が真っ白に弾け飛ぶ。
足の指先までピンと伸びきり、全身が小刻みに痙攣した。
これまでの男の人生では経験したことのない、波のように押し寄せては引いていく、深く、長い絶頂。
「はぁっ……はぁっ……ぁ……」
鏡の前で、俺は糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
ピンクのレースは汗で肌に張り付き、鏡の中の結城凛は、完全に快感に屈しただらしなくも美しい表情を晒している。
「……ふふっ、最高だ。イケメン俳優なんかより、俺自身の姿が一番の媚薬じゃないか」
荒い息を整えながら、俺は鏡の中の自分に向けて、とびきり妖艶な笑みを浮かべた。
本体の俺すら知らない、底なしの快感と絶対的な自己愛。
この『結城凛』としての新しい日常は、俺の想像を遥かに超える、最高のエンターテインメントになりそうだった。
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火照った体からじわりと滲む汗を手のひらで拭いながら、俺はふうっと長く、甘い息を吐き出した。
「さすがに汗だくだな。お風呂にするか」
火照りを冷ますため、そして先ほどの甘美な行為の余韻を洗い流すために、俺はクローゼットへと向かった。
開け放たれた扉の中で、いくつものランジェリーが並んでいる。
その中から記憶を手繰り寄せ、奥のほうにひっそりとしまい込まれていた一つの下着セットを引っ張り出した。
それは、純白のレースがふんだんにあしらわれた、ひたすらに「可愛らしさ」を強調したデザインだった。
凛の記憶が教えてくれる。
この下着は、デザインに一目惚れして買ったものの、「26歳のクールな自分には、少し乙女チックすぎて年齢に合わない」と気恥ずかしくなり、ほとんど使用されずにお蔵入りになっていたものらしい。
「もったいない。こんな清楚で可愛い下着、男のロマンの塊じゃないか。普段クールな女が、家ではこんな可愛らしい下着をつけてるなんて……ギャップ萌えの極みだろ」
俺は躊躇なくその白のレース下着を手に取り、嬉々として脱衣所へと向かった。
服を完全に脱ぎ捨て、バスルームのドアを開ける。
シャワーのハンドルをひねると、勢いよく温かいお湯が降り注いできた。
「あぁ……気持ちいい……」
頭から温かいシャワーを浴びると、今日一日の緊張や疲れがふわりと解けていく。
だが、それと同時に、先ほどの激しい絶頂の余韻が残る敏感な肌が、水圧に対して過剰に反応していることに気づいた。
シャワーのお湯が、滑らかな首筋から鎖骨を伝って、豊かな胸へと流れ落ちる。
たったそれだけのことなのに、お湯の粒が胸の硬い突起に当たるたび、ツンッ、とした心地よい刺激が脳を駆け抜けるのだ。
「うそだろ……シャワーのお湯が当たるだけで、こんなに気持ちいいのか……?」
男の体だった頃には到底考えられないほどの、圧倒的な超高感度。
お湯の温かさと、絶え間なく降り注ぐ細かな水圧の振動が、無数に見えない指となって柔らかな肌を愛撫してくるかのようだ。
胸に当たるお湯の感触だけで、思わず口から甘い吐息がこぼれそうになる。
そのうち、俺の脳内にさらなる悪戯心が芽生えた。
(これだけ水圧が気持ちいいのなら……もっと『敏感な場所』に当てたら、どうなるんだ?)
俺はシャワーヘッドを壁のフックからカチャリと外し、右手に持った。
そして、少しだけ足を開き、勢いよくお湯を噴き出しているシャワーヘッドを、下腹部の方へとゆっくり近づけていく。
「んっ……ぁ……っ」
まだ直接当てたわけでもない。周囲を伝い落ちるお湯の温もりがそこを撫でただけで、足の先が微かに震え、腰がビクッと跳ねた。
そして、意を決して水流の焦点を、最も熱を持っている秘所へと合わせた瞬間。
「あぁっ! ……んんっ、ひゃあッ……!」
ローターの直接的で硬質な振動とは違う。
温かなお湯による、柔らかく包み込まれるような刺激。それでいて、絶え間なく叩きつけられる細かな水圧が、全身の神経をどろどろに溶かしていく。
ザーッという激しいシャワーの音にかき消されるのをいいことに、俺はもう、声を我慢するのをやめた。
「すごい、これ……っ、お湯だけで……こんなに、気持ちいいなんて……っ!」
タイルの壁に空いた左手をつき、シャワーのお湯の束がもたらす極上の快感に身を委ねる。
膝がガクガクと震え、立っていられなくなりそうになるのを必死に堪えた。
脱衣所のカゴの中では、清楚で可愛い白のレース下着が、お風呂上がりの俺を待っている。
この火照りきった身体を拭いた後、あの乙女チックな純白の布でこの体を包み込む――その背徳感と期待が、頭の中をさらにピンク色に染め上げていった。
俺の、いや結城凛の熱いバスタイムは、どうやらもうしばらく終わりそうになかった。
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翌朝、目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされ、ベッドの上でうーんと大きく背伸びをする。
指先からつま先までしなやかに伸びる肉体の感覚。
胸元にまとった純白のレースが肌をかすめ、昨日味わった甘美な熱の残り香を微かに思い出させた。
「ふぁ……さてと、今日もデキる女・結城凛のスタートだな」
ベッドから抜け出し、洗面所で完璧なオフィスメイクを施した俺は、クローゼットの前で今日の勝負服(コーディネート)を選び始めた。
昨日はフェミニンなタイトスカートだったが、凛のワードローブには洗練されたパンツスタイルも豊富に揃っている。
「今日はこれにするか」
手に取ったのは、上質な生地のネイビーのテーパードパンツと、とろみ感のある白のブラウス。
パンツスタイルは腰からヒップ、そして太ももへと続く美しいボディラインが露骨に出る。
今朝選んだ薄手のシームレスなランジェリーをつけ、パンツに足を通すと、すっと脚が長く見え、引き締まったヒップの形が見事に浮き彫りになった。
姿見の前に立ち、くるりと一回転する。
昨日までの可憐な雰囲気とは打って変わり、そこには知的でスタイリッシュなキャリアウーマンが立っていた。ハイヒールを履けば、足長効果は抜群だ。
「よし、クールビューティーな凛ちゃんも最高に様になってるな」
自画自賛しながら部屋を出て、爽やかな朝の風を切って駅へと向かった。
カツン、カツンと硬いヒールの音を響かせながら駅の改札に近づいた、その時だった。
(ん? マジかよ)
俺の視線が、改札脇の柱の陰に固定された。
そこにいたのは、昨日と全く同じ、ボサボサ頭でどこかくたびれた服を着た「俺の本体」だった。
スマホを弄るフリをしながら、改札を通過する女性たちを食い入るように見つめている。
(また張り込んでやがったのか。 一体何を考えてるんだ?)
俺は心の中で不敵に笑いながら、歩調を変えずに観察を続けた。
本体の脳内にある考えが、元が同じ魂だからこそ、手に取るように推測できた。
(なるほどな……本体のヤツ、まだ諦めきれてないんだ)
本体の思考はこうだ。
『昨日は失敗したと思ったが、あの女(凛)とすれ違った時、魂の根底が引き寄せられるような妙な違和感があった。もしかして俺の魂の欠片は弾かれたんじゃなくて、定着してるんじゃないのか?』
あるいは、『単純に、あの圧倒的な美貌とスタイルが忘れられず、もう一度見たくて張り込んでいる』……その両方だろう。自分の手からこぼれ落ちた(と思っている)奇跡に、未練たらたらで執着しているのだ。
本体の視線が、歩いてくる俺へと向けられた。
今日の俺はパンツスタイルだ。
昨日のタイトスカートとは違うが、ハイウエストのパンツが強調する足の長さ、歩くたびにキュッと引き締まるヒップラインに、本体の目が釘付けになるのが分かった。
(穴が開くほど見てるなぁ、本体。自分の元から切り離された魂が、その身体の中で最高に熟しきってる事も知らずにな)
俺はわざとらしく背筋をピンと伸ばし、顎を少し上げて、颯爽と本体の真横を通り過ぎた。
「……あ」
すれ違いざま、本体の口から小さな漏れ声が聞こえた。
昨日と同じ、凛が愛用するハーブの香水の香りがふわりと鼻腔をくすぐったのだろう。
本体はハッとしたように目を見開き、俺の後ろ姿を追いかけるように半歩踏み出してきた。
『おい、もしかしてお前……』
そんな言葉が、本体の喉元まで出かかっているのが目に見えるようだった。
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自分が仕掛けた手応えの残像と、目の前の完璧な美女。
その二つが脳内で激しく交錯し、混乱と欲望で頭がいっぱいになっているのだろう。
だが、俺が振り向くわけがない。
(惜しかったな、本体。全部お前の思い通り……とはいかないのが、この作戦の面白いところなんだよ)
ICカードを改札にタッチし、振り返ることもなくエスカレーターへと向かう。
背中に突き刺さる本体の視線は、悔しさと焦燥感、そして美女への情けない欲望が混ざり合った、実に無様なものだった。
電車に乗り込み、窓ガラスに映る自分を見つめる。
ネイビーのパンツスーツを着こなした完璧な美女が、ガラス越しに薄く不敵な笑みを浮かべていた。
(悪いな、本体。お前が指をくわえて指を指してる間に、俺はこの体で『結城凛』としての最高の一日を楽しんでくるぜ)
ドアが閉まり、電車が滑り出す。
本体を完全に置き去りにした優越感に浸りながら、俺は今日始める新しい業務へと意識を向けた。