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窓辺から差し込む柔らかな春の陽光が、私の長くしなやかな黒髪を艷やかに照らしている。
テラス席でダージリンティーの香りを漂わせながら、静かに文庫本へと視線を落とす。
長く伸びた睫毛が白い頬に影を落とし、ページをめくる白魚のような指先はひどく滑らかだ。
通り過ぎる男たちはもちろん、女たちでさえも、吸い込まれるように私を二度見していく。
誰もが認める、圧倒的な『清楚系美少女』。
それが今の私だ。
だが、私の頭の中を占めているのは、こんな思考である。
(あー……このミステリ、第3章で犯人わかっちゃったな。てか、さっきからブラジャーのワイヤーが肋骨に当たって超絶痛いんですけど。誰だよこの拷問器具発明したやつ)
ため息を一つ吐き、私は紅茶を一口すする。
優雅に見えるかもしれないが、ただの猫舌だからチビチビ飲んでいるだけだ。
私の魂の名前は「タカシ」。
休日は部屋の隅でひたすら活字を追いかけ、クラスの陽キャたちが騒いでいるのを「猿の惑星かな?」と斜に構えて眺めていた、生粋の陰キャ男である。
なぜ、そんな陰キャのタカシが、絶世の美少女として表参道のカフェで紅茶をすすっているのか。
事の発端は、国が狂ったとしか思えない『超法規的・少子化対策』にあった。
出生率が絶望的な数値を叩き出したこの国は、ついに禁忌に手を出した。
最新の遺伝子工学を駆使し、選ばれた一部の男性のDNAを強制的に書き換え、女性へと『変換』する法案を通したのだ。
不運にもその宝くじに当たってしまった私は、あれよあれよという間に拉致同然で施設にぶち込まれ、激痛と発熱の果てに、股間の相棒を失い、代わりにこの無駄にプロポーションの良い身体を手に入れた。
国の徹底ぶりは異常だった。
女の身体になったから「はい、いってらっしゃい」ではない。
『女性として社会で生き、いずれ優秀な遺伝子を残すため』という名目で、歩き方から言葉遣い、メイクアップ、果ては男性心理の掌握術まで、地獄のような『淑女教育』を半年間みっちりと叩き込まれたのだ。
それまでのタカシとしての戸籍は完全に抹消され、過去の生活はすべて一新。
社会に出るにあたって、国はご丁寧に『新しい名前』と、私のことを実の娘だと信じて疑わない『偽物の両親』まで用意してくれた。
記憶操作の手法は企業秘密らしいが、あの偽両親の異常なまでの溺愛っぷりを見るに、相当強力な洗脳がかかっているに違いない。
かくして、陰キャ男のタカシは死に、誰もが振り返る深窓の令嬢『高嶺(たかね)』が爆誕したわけである。
「……ま、どうでもいいけど」
ぽつりと、美声が漏れる。
国は私に、この美貌を武器にして優秀なオスを捕まえ、少子化に歯止めをかけてほしいのだろう。
だが、残念だったな、日本政府。
DNAをいじろうが、骨格を変えようが、極上の美少女のガワを被せようが——私の『陰キャの魂』までは書き換えられなかったようだ。
男だろうが女だろうが、美少女だろうがブサメンだろうが、私のやることは一つしかない。
他人に干渉せず、静かな場所で、ただひたすらに本を読む。それだけだ。
私は男たちの熱視線を完全にスルーして、再び文庫本を開いた。
女の身体はホルモンバランスのせいか涙腺が緩くて困るが、その分、小説の感情移入の度合いは男時代より跳ね上がっている。これはこれで、悪くない読書ライフだ。
「さてと……次の章にいくか」
国が用意した完璧な偽りの人生の中で、今日も私は、私だけの物語のページをめくる。
6c27fdd5 No.4544
ページをめくる手がピタリと止まる。
文庫本に落ちていた私の視界を、不躾な影がすっぽりと覆い隠したからだ。
「ねえ、一人? そんな難しい顔して本なんて読んでないで、俺とお茶しない?」
漂ってくるのは、ハイブランドの嫌味のない香水。見上げれば、仕立ての良さそうなジャケットを着こなした、絵に描いたような高スペック風の爽やかイケメンが立っていた。
(うわぁ……出たよ、テンプレ通りのナンパ。てか、ミステリの解決編の直前で話しかけてくるとか、こいつ万死に値するんですけど)
心の中では盛大に舌打ちを連発し、なんなら熱々の紅茶を顔面にぶちまけてやりたい衝動に駆られる私。
しかし、国に叩き込まれた地獄の『淑女教育』は恐ろしい。私の意思とは裏腹に、身体が勝手に最適解のリアクションを弾き出す。
「お声がけいただき、光栄ですわ。でも……ごめんなさい。わたくし、こうして見知らぬ殿方とお話しするのは、少し不慣れでして……」
ほんのりと頬を赤らめ、長い睫毛を伏せがちにする上目遣い。
声は極上のビブラートを効かせた、か弱き乙女のそれ。
完璧すぎる。男時代の私がこの仕草を見たら、三秒で恋に落ちて全財産を貢いでいる自信がある。
案の定、目の前のイケメンは「うおっ」と小さく呻き、その顔に『いける!』という明確な下心を浮かべた。
(キモッ。チョロすぎだろオス猿。さっさとどっか行け)
脳内で毒づきながら、次の一手でどう穏便に追い払うかを計算し始めた、その時だった。
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「——そこまでにしていただきましょうか」
氷のように冷たく、それでいてよく通る凜とした声が、イケメンの背後から降ってきた。
そこに立っていたのは、黒のタイトなパンツスーツを完璧に着こなした、切れ長の目が特徴的なクールビューティーだった。
冷徹なオーラと圧倒的なプレッシャーに気圧されたのか、イケメンは「あ、すんません……」と捨て台詞もなく逃げるように去っていく。
私は内心で安堵のため息をつきながら、救世主……もとい、一番厄介な人物を見上げた。
「相変わらず、政府の意図をガン無視して趣味に没頭しているようですね。特例変換者・認識番号073『高嶺』」
彼女は私の向かいの席に許可もなく優雅に腰を下ろすと、フレームなしの眼鏡の奥から、観察するように私を射抜いた。
「私の監視員殿は、休日もストーカー業務でお疲れ様ですわね」
私はパタンと文庫本を閉じ、淑女の笑みを崩さないままチクリと刺し返す。
彼女の名前は、霧島(きりしま)。
私をタカシから高嶺へと改造し、このバグったような偽りの人生をプロデュースした『少子化対策特別省』のエリート官僚だ。
「ストーカーではありません。国の最高機密かつ特別資産であるあなたが、正しく『優秀な男性とつがう』ための経過観察です。今の男性などはスペック的に悪くなかったはずですが?」
「あんな底の浅いナンパ男の遺伝子なんて、国の将来の役には立ちませんわ」
「口を開けば皮肉ばかり。中身は陰湿なオタク少年のままですね」
霧島は呆れたようにため息をつき、テーブルの上にタブレット端末を滑らせてきた。
「今日は小言を言いに来たわけではありません。あなたの『新しい生活』における、最初のミッションを持ってきました」
「ミッション?」
画面に表示されていたのは、都内でも有数の超名門・私立白百合学園の制服と、一枚の転校手続きの書類だった。
「来週から、あなたにはこの学園に通ってもらいます。もちろん、国が用意した『完璧な令嬢』として」
「は……? 私、タカシだった時はもう高3で、あとは適当な大学に指定校推薦で入ってダラダラする予定だったんですけど?」
思わず淑女の仮面が剥がれ、素の陰キャボイスが漏れてしまう。
しかし霧島は悪びれる様子もなく、冷たい笑みを浮かべた。
「ええ。ですが『高嶺』は現在高校二年生という設定です。それに、この学園には政財界の御曹司たちも多く通う系列校が隣接しています。良質な出会いの場として、これ以上の環境はありません」
「ちょ、ふざけ——」
「拒否権はありませんよ、高嶺お嬢様。国はあなたに、莫大な税金を投資しているのですから」
絶望だ。
静かな読書ライフを夢見ていた私の前途に、早くも暗雲が立ち込めている。
完璧な美少女のガワを被った元陰キャ男の、波乱と胃痛に満ちたスクールライフが、今まさに幕を開けようとしていた。