b464d950 No.4522
「……あれ?」
それが、新しい人生の最初の言葉だった。
声が違う。自分の喉から出たはずの音が、私のものではない。
くぐもった、しかし驚くほど高い、そして震えるような少女の声だ。
私は目を見開いた。
目の前には、万華鏡を覗いたような、異様な光景が広がっていた。
「わあー、すごい!」
「トリック・オア・トリート!」
大音量の音楽、飛び交う歓声、そして何よりも、この光景を埋め尽くす「何か」の異様な姿。
そこは、昭和の、あの埃っぽいオフィスではない。
タバコの煙にまみれた会議室でもない。
夜だ。
しかし、夜なのに昼間のように明るい。
そして何より、周囲を歩く人々が、みんな奇妙な格好をしていた。
吸血鬼、ミイラ、お化け。
いや、それらは昔からあったが、今の彼らの格好は、私の知る「お化け」よりも遥かに洗練され、そして大胆だ。
(これは……一体……?)
私は自分の身体を確かめようと、手元に目をやった。
(な、なんだ、これは……!)
そこに、私のゴツゴツとした、タバコで黄ばんだ手はなかった。
あるのは、驚くほど白く、そして細い、おなごの手だ。
しかも、黒い短い手袋をはめている。
(私は……? どうして……?)
心臓が、とてつもない速さで鼓動を打っている。
それは、昭和のオヤジが過労で倒れた時の、あの不整脈の鼓動ではない。
若く、そして力強い、未知の生命力の鼓動だ。
私は、恐る恐る、自分の頭に手をやった。
何かが、ある。巨大な何かが。
それは、私の剥げかけた頭頂部を守る帽子ではない。
とてつもなく大きな、そして派手な、「魔女の帽子」だ。紫と黒を基調とした、とてつもない代物が、私の頭に乗っている。
その瞬間、全ての記憶が繋がった。 いや、違う。二つの「私」が、私の中で一つになったのだ。
一つは、昭和の終わりから平成を駆け抜け、そして令和の始まりに、過労と酒で散った、50歳の会社員。名前は、田中健二。
そしてもう一つは、今、この身体を動かしている、17歳の女子高校生。
名前は、天野理香。
「私は……理香ちゃん……?」
口から出たその言葉が、私の「新しい」名前であることを、私は知っていた。
私には、理香としての記憶がある。
この令和の時代で、学校に通い、友達と笑い合い、そして今日この日のために、渋谷の街へやってきた、その記憶が。
そして、今の私は、その理香が、友達の「魔女っ子」のコスプレをするという、とんでもない企画に乗せられて、このとんでもない格好をさせられていることを知っていた。
(え、ちょっと……これ、何……?)
私は自分の姿を、近くにあった、異様に洗練されたデザインの店のショーウィンドウで確認した。
(わあ……!)
そこに映っていたのは、私の(田中健二の)知る、あのうらぶれたオヤジの姿ではなかった。
そこにいたのは、とんでもなく可愛い、そしてとんでもなく派手な、一人の少女だった。
彼女は、紫と黒の、フリルとリボンで飾られた、まるで中世のドレスのような(しかし、現代の感覚で作られた)コルセットドレスを着ていた。
スカートはとんでもなく短く、そこから伸びる私の(理香の)足は、黒いニーハイソックスとリボンで飾られている。
手には、お菓子の詰まったカボチャのバケツ。
そして、頭にはあの巨大な魔女の帽子。
その姿は、まるで現代の魔法少女か、あるいは、何かのアニメーションから飛び出してきたような、そんな完璧な「コスプレ」だった。
(田中健二として、私は死んだ。そして……天野理香として、私は生まれ変わったんだ)
その事実を自覚した瞬間、私の心は、驚愕と、そしてそれ以上の、何かとてつもない「興奮」に包まれた。
「理香ー! 何止まってるの? こっちこっち!」
友達の(理香の)声が、私を呼んでいる。
それは、ミイラ男と、猫耳をつけた少女だった。
私は、田中健二としての「私」を、心の奥底に静かに鎮めた。
今の私は、田中健二の知識と経験を持ちながらも、天野理香という、とんでもなく可愛い女子高校生なのだ。
b464d950 No.4523
(昭和のオヤジが、令和の女子高生……しかも、こんな派手な魔女っ子に、転生……?)
私は、自分の新しい人生の、とんでもない幕開けに、心臓をさらに高鳴らせた。
これは、とんでもない物語の始まりだ。
私は、カボチャのバケツをぎゅっと握り締め、そして、理香としての記憶に従って、最高の笑顔を作り、友達の方を振り返った。
「わあ、わかった! 今行くー!」
私の声は、夜空に高く響き、そして、令和の渋谷の、この狂乱のハロウィンに、完璧に溶け込んだ。
cda3ed62 No.4572
「理香ぁぁ〜っ! 遅いーっ! どこ行ってたの〜〜っ!?」
人混みをかき分けて飛び出してきたのは、黒い猫耳のカチューシャに黒のミニドレスを纏った、ぴょんぴょん跳ねる黒猫コスプレの「ゆず」だった。
「ちょっと理香! マジでそれ! 超かわいく仕上がってるじゃん!! やっば!!」
続いて現れたのは、淡いピンク色のナース服にナースキャップを斜めにかぶった「あおい」。
胸元が少し開いた甘々なデザインで、手には大きな注射器のおもちゃを抱えている。
「うわっ……!? ちょ、ちょっと――」
心の準備をする暇もなく、ふたりは左右から私の腕にぎゅっと抱きついてきた。
(ぐはっ……!? ち、近い!! 距離感が完全にバグっている……!!)
私の(田中健二の)脳内に緊急警報が吹き荒れる。
昭和の会社員時代、こんな距離感で女子社員に寄られたら、翌日には即座に人事課に呼び出されて即死案件だ。
しかし、いまや私は彼女たちの親友「理香」なのだ。
「えー何々!? 理香、今日の衣装マジで神なんだけど! 紫と黒のフリルとか超主人公じゃん! 帽子デカくてかわよ〜♡」
あおいが私の頬に自分の頬をペタッとすり寄せてくる。
甘いココナッツの香水と、柔らかい感触がダイレクトに伝わってくる。
「ほんとそれー! にゃ〜ん♡ 理香のこのミニスカ丈、足細すぎでしょ! ズルいズルい! ちょっと触らせて!」
ゆずがニヤニヤしながら、私の太ももをペシペシと叩いてくる。
黒猫のしっぽがふりふり揺れている。
「ちょっと! ふたりとも触りすぎだってば〜〜っ! 距離近い!!」
裏返りそうな高い声で叫びながら、私は必死に身体を引こうとした。だが、二人とも「え〜? なんで〜?」とさらに密着してくる。
(落ち着け田中健二! 私は女子高生! 17歳の天野理香なのだ! しかしこの若い女子の甘い匂いと、きゃぴきゃぴした空間の多幸感は何事だーっ!? 昭和の残業続きの居酒屋とは真逆の天国か!!)
「理香、なんか今日変じゃない? なんか照れてない〜? ウケるんだけど!」
「ねえねえ、熱あるの? ナースのあおいちゃんが注射しちゃおうか〜? ほら、ちくっとね〜♡」
あおいがプラスチックの注射器を私の鼻先に突きつけてくると、ゆずが「あはは! あおいウケる!」とお腹を抱えて笑った。
「もうっ、冗談はやめてよ〜! ほら、せっかく渋谷来たんだから写真撮るんでしょ!?」
私は理香としての記憶をフル回転させ、女子高生特有の「ぷんぷん」とした可愛らしいトーンで誤魔化した。
「あ! ソレな! 自撮り自撮り〜! 盛れるエフェクトで撮ろ!」
あおいが手慣れた手つきで最新のスマートフォンを取り出し、インカメラを掲げた。
「ゆず、左! 理香は真ん中ね! はい、密着〜〜!」
「にゃ〜ん! カボチャポーズしよ!」
「え、カボチャポーズって何……!?」
戸惑う間もなく、ゆずが私のあごの下に手を添え、あおいが私の大きな魔女帽子のフチをつかむ。3人の顔が目と鼻の先で重なり合う。
「はい、ちーず☆ 盛り盛りハロウィン〜〜!」
カシャッ!
画面の中に映し出されたのは、最新の流行メイクを施し、きゃぴきゃぴと弾けるような笑顔を浮かべる3人の美少女コスプレイヤー。
その真ん中で、大きな帽子をかぶり、少しだけ顔を赤らめて可愛らしく驚いているのが――私だった。
(……あかん。昭和のオヤジの心が、令和の女子高生の尊さに完全敗北しそうだ……)
私の新しい、そして波乱に満ちた(?)女子高生ライフは、こうして賑やかに幕を開けたのだった。
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「ねえねえお姉さんたち〜! 超かわいくない!? 今からうちらとLINE交換して、どっか遊びに行かない?」
自撮りを終えた直後、チャラけた雰囲気の男二人組がニヤニヤしながら声をかけてきた。
昭和の時代なら「ナンパ」だが、令和の現代でもやることは変わらないらしい。
「え〜無理無理無理!」
「うちら今からプリクラ行くんで! じゃあね〜ばいばーい!」
ゆずとあおいが秒速で手を振り、一蹴した。
男たちは「うわっ、塩対応……」と苦笑いしながら立ち去っていく。
(容赦ねえな、最近の女子高生! でもまあ、魔女に黒猫にナースだ。こんなに可愛い女子高生が3人揃って渋谷を歩いてりゃ、ナンパされるのも当たり前か)
オヤジ目線で「まあ当然の帰結だな」と納得しつつ、私はふと身震いをした。
(ひえっ! 寒っ!?)
ヒュッと冷たい秋風が吹き抜けた瞬間、私の太ももから膝にかけて、強烈な寒気が襲いかかってきたのだ。
(す、スカートがすーすーする……!!)
男の時代には絶対に存在しなかった感覚だ。
スラックスという厳重な防御壁に守られていた下半身が、いまや薄い生地一枚、しかも太ももが盛大に露出している。
脚が……脚がスースーして落ち着かない!
さらに悪いことに、通り過ぎる男たちの視線が、チクチクと肌に刺さる。
(うわぁ……男たちの視線が痛い! メチャクチャ見てくるじゃん!! 昭和のオヤジだった俺も、昔は若い女の子をこうやって目で追ってたかもしれないが……いざ見られる側になると、こんなに居心地が悪くて恥ずかしいものなのか!?)
私が自分の短いスカートの裾を必死に引っ張って押さえていると、あおいが首をかしげた。
「理香、寒いの? っていうか寒いに決まってるよね! この時期のミニスカはやばい!」
「ほんとそれ〜! ねぇ、これからどこ行く? 立ち止まってると風で冷えちゃうよ!」
ゆずが身を寄せ合いながら言った。
「とりあえず……室内行かない? 寒くて凍えそう……」
私が震える声で答えると、あおいがポンと手を叩いた。
「あ! じゃあとりあえずプリクラ撮りに行こうよ! ゲーセンなら暖房効いてるし! ハロウィン限定のフレーム、めっちゃ可愛いのあるってTikTokで流れてたんだよね!」
「あ、それ見たい! プリクラ行こ行こー!」
ゆずも即座に賛成する。
「プリクラね! うん、行こう行こう!」
暖かい場所に移動できるなら大賛成だ。
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私が一歩踏み出そうとした、その時――。
「あ、ちょっと理香! 止まって!」
ゆずが私の目の前に回り込み、ひょいと屈み込んだ。
「えっ? なになに!?」
「オーバーニーのソックス、下がってるよ〜。右脚のやつ、せっかくのリボンがズレちゃってんの」
「えっ、嘘、本当……!?」
焦る私を余所に、ゆずは「しゃーないな〜、じっとしててね」と言いながら、私の右の太ももにそっと手を伸ばした。
(ひええええええええっ!??)
ゆずの細くて暖かい指先が、私の太ももの肌に直接触れる。
そのまま、ズレ下がりかけていた黒のソックスの口ゴムをつかみ、ぐいっと太ももの上まで引き上げてくれた。
(ち、近い近い近い!! 太もも! 太もも触られてる!! 昭和オヤジの脳細胞が爆破炎上するーーーっ!!)
目の前には、かがみこんだゆずの黒猫耳と、可愛らしいつむじ。
そして太ももに伝わる柔らかい体温。
私は全身の血が頭に上るのを感じて、カッと顔が熱くなった。
「はいっ! これでよし! ぴちっと上まで上がってる方が、脚がキュッとして綺麗に見えるしね♡」
ゆずは何事もなかったかのように立ち上がり、満足げにニッコリ微笑んだ。
あおいがそれを見て、ニヤニヤしながら顔を近づけてくる。
「あれ〜? 理香、顔すごーく赤くなってな〜い? 寒さのせい? それともゆずにドキドキしちゃった系〜?」
「ち、違うってば!! びっくりしただけ!!」
私は裏返った声で叫び、必死に自分の頬を手で押さえた。
(落ち着け田中健二……落ち着くんだ! 今の私は女子高校生、天野理香なんだ! 女子同士で服を直したり、ニーハイを引き上げたりするなんて、彼女たちにとっては挨拶レベルの日常茶飯事なんだ! 近い距離にドギマギする方がおかしいんだからな!? そうだ、女子高生なんだから当然! 全く問題なし!!)
自分にそう言い聞かせ、必死に深呼吸をする。
「も〜、理香ってば最近リアクションがウブでかわよ♡ ほら、早く行かないとプリクラ混んじゃうよ!」
あおいが私の腕をぎゅっと組み、ゆずが反対側の手を引いて歩き出す。
「よし! 盛れる角度研究しながらゲーセンにGOーーっ!」
「「おーっ!!」」
右にピンクのナース、左に黒猫。そして真ん中に魔女の私。
男たちの熱い視線と秋の冷たい風を背中に浴びながら、私たちは賑やかに渋谷の街を駆け出していった。
78b2eedf No.4643
「わあー、ここ最新の機種じゃん! 超ラッキー!」
あおいがピンクのナース服を翻しながら、ゲームセンターの奥にあるプリクラ機に駆け寄った。ゆずも黒猫のしっぽをふりふりさせて続く。
「理香、早く早く! この機種、肌がめっちゃ綺麗に映るんだよ!」
「え、あ、うん……!」
私は、二人に引っ張られるようにして、プリクラ機の狭いカーテンの中へと足を踏み入れた。
(うわっ、狭っ!!)
男の時代、プリクラなんて女子社員たちがキャッキャと撮るのを遠巻きに見ているだけだった。まさか自分がその中に入ることになるなんて……。
「よし、じゃあ3人で撮るよ! ポーズ決めて!」
あおいがタッチパネルを手際よく操作する。
「最初は……ハロウィンっぽく、ガオガオポーズ!」
「にゃ〜ん、ガオ〜!」
ゆずが猫耳を立ててポーズを決める。あおいもナース注射器を構える。
(ガ、ガオガオポーズ? 昭和のオヤジにそんな可愛らしい芸当ができるか……!)
戸惑う私の肩を、あおいがぐいっと引き寄せた。
「理香も! ほら、手はこう! 可愛い顔して!」
「こ、こう……?」
私は、ぎこちなく両手を頬の横に添えた。
カシャッ!
「あはは! 理香、顔が硬い! もっと笑って!」
「次は、ほっぺぷにポーズ!」
あおいの指示で、今度は3人で自分の頬を指でぷにっと押す。
(くっ、狭い。狭すぎる……!)
ポーズを変えるたびに、二人の身体が私の身体に密着する。
右側からは、ゆずの猫耳カチューシャが私の魔女帽子に当たり、彼女の肩が私の腕に触れる。
左側からは、あおいのナース注射器を持った手が私の腰に回り、彼女の頭が私の肩に寄り添う。
(あ、あかん。この「圧」はあかん……!)
女子高生特有の、柔らかくて温かい体温が、ダイレクトに伝わってくる。
あおいがポーズを変えようと、私の身体をさらに強く押し付けた瞬間、彼女の柔らかな胸の感触が、私の左腕にはっきりと感じられた。
78b2eedf No.4644
(ぐふ!! な、な、な、なんだこの感触は! 柔らかすぎる! 昭和のオヤジの理性という名の防波堤が、今にも決壊しそうだ)
「理香、次は……ぎゅーっとして撮ろ!」
ゆずが私の右腕をぎゅっと抱きしめ、自分の胸を押し当ててきた。
(ひええええええええっ!? ゆ、ゆずまで!! 挟まれた! 二人の女子高生の胸に、俺は今、挟まれている!!)
「理香、もっとこっち来て! 画面に入りきらないよ!」
あおいが私の背中を押して、自分たちの方へと引き寄せる。
(不自然にならないように……俺も近くに行かなきゃ……)
私は、女子高生になりきるため、必死に動揺を隠し、自らも二人の方へと身体を寄せた。
(うおおおおおっ!! これだ! これが女子高生のプリクラの距離感か!!)
3人の身体が完全に密着する。
私の腕、肩、背中、そして胸元にも、二人の柔らかくて温かい身体が押し付けられている。
(たまらん! この感触、たまらんぞ! 昭和の居酒屋のオヤジたちの愚痴なんて、一瞬で吹き飛ぶほどの破壊力だ!)
「はい、ちーず☆ ぎゅーっと仲良し!」
あおいの声に合わせて、私は、女子高生としての最高の笑顔を作り、自らも二人の方へと強く身体を押し当てた。
(これだ。俺は今、女子高生だ。天野理香だ。この距離感こそ、友情の証! 何の問題もない!!)
カシャッ!
画面の中には、3人の魔女、ナース、黒猫が、顔をくっつけ合い、身体を寄せ合って、弾けるような笑顔で映っていた。
その笑顔の真ん中で、心の中で昭和オヤジが「最高だーーーっ!!」と絶叫していることは、誰も知らない。
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「理香〜、今日はありがとね! マジで超楽しかった〜!」
「ほんとそれ! プリクラも爆盛れだったし! 次はカラオケオールね! じゃあね、バイバイー!」
渋谷の駅前で、あおいとゆずが手を大きく振り返しながら改札へと消えていった。
二人の賑やかな声が遠ざかると、急に周囲の喧騒が静まり返ったように感じる。
「……ふぅ。」
私は小さく息を吐き、一人で帰路についた。
夜の冷たい秋風が、相変わらず短すぎるスカートの裾をすーすーと揺らす。
ゲームセンターを出たあとも、二人に密着されるたびに甘い香りと柔らかい感触に脳みそが沸騰しそうになっていたが……一人になると、今度は一気に「現実」が押し寄せてきた。
電車に乗り、家の最寄り駅で降りて、静かな住宅街を歩く。
カツカツと鳴る自分の靴の音。
オーバーニーソックスとスカートの間の、すーすーする太もも。
手に下げた、あのお菓子が詰まったカボチャのバケツ。
(俺……本当に、女子高生になっちゃったんだな……)
昭和の時代、終電間際の居酒屋で「若い頃に戻りたいなぁ」なんて上司と管を巻いていた自分が、まさか令和の世で女子高生の、しかもハロウィンの魔女っ子コスプレ姿で夜道を歩いているなんて、誰が信じるだろうか。
やがて見慣れた(理香の記憶にある)一軒家の前に到着した。
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カチャリと鍵を開け、ドアを押す。
「ただいまー……」
「おかえり理香〜! 楽しかった? 玄関に荷物置いたらすぐお風呂入りなさいねー!」
リビングから聞こえてくるお母さんの明るい声。
昭和の田中健二だった頃、誰もいないアパートの部屋に帰り、コンビニ弁当と缶チューハイで済ませていた日常とは、まるで違う「温かさ」がそこにはあった。
「うん、今入るー!」
自分の部屋に入り、カバンのバケツを机の上に置く。
巨大な魔女帽子を脱ぐと、ふわりと軽い解放感が頭を包んだ。
姿見の鏡の前に立つ。
そこには、前髪を少し気にして頬を赤らめている、とんでもなく可愛い17歳の少女が映っていた。
(あおいとゆずの胸の感触……すごかったな……いやいや! 何考えてんだ俺は!!)
自分の頬を両手でポンポンと叩く。
手のひらに伝わる肌はすべすべで、毛穴ひとつない。
(田中健二としての人生は終わった。これからは、天野理香として生きていくんだ。昭和のド根性とオヤジの知恵を胸に……令和の女子高生ライフを、全力で楽しんでやる!!)
鏡の中の可愛い魔女っ子に向かって、私はにやりと不敵で、だけど最高にキュートな笑顔を向けたのだった。
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自分の部屋にカバンとカボチャのバケツを置き、巨大な魔女帽子を脱ぎ捨てた私は、まず最初にして最大の難関に直面していた。
「お風呂入る前に、まずは着替えの準備だよな……」
ごくり、と唾を飲み込む。
部屋の隅に置かれたタンスの、下から二段目。
そこは理香としての記憶が「下着入れ」だと示している聖域だ。
昭和のオヤジ・田中健二の精神を持ったまま、17歳の女子高生の下着引き出しを開ける。この背徳感と緊張感たるや、かつて会社で受けた税務調査の比ではない。
そっと引き出しを引くと、そこにはカラフルで可愛らしい、綿やレースの小物が綺麗に並べられていた。
「っ……!!」
一瞬で顔が熱くなり、思わず引き出しを半分閉めそうになる。
ピンク、パステルブルー、ミントグリーン、フリル付き、透け感のあるレース……。
昭和のおじさんが知っている「下着」とは、あまりにも次元が違いすぎる。
洗練され、あまりにもキュートで、そして何より……ちいさい。
(お、落ち着け俺! 落ち着くんだ天野理香! これは自分の下着だ! 自分の服を選ぶだけじゃないか!)
心臓がドクドクと鳴り響き、バクバクと胸を叩く。ドキドキが全く止まらない。
「えーっと、どれにすれば? 湯上がりに着るやつだから、締め付けないやつ? いや、でも明日も学校だし、普段使いのやつか? でもどれが『普段使い』なんだ!?」
ピンクのフリル付きを手に取ってみる。
(うわっ、柔らか……! 軽っ! これ、本当に布か!?)
パステルブルーのレース付きを手に取ってみる。
(ひやぁっ!? こっちはちょっと大人っぽいデザイン……! いやいや、17歳でこれは刺激が強すぎないか!?)
引き出しの前で正座し、下着を1枚1枚手に取っては「うーん……」「いや、これは……」と頭を抱えること、なんと10分間。
昭和のオヤジの理性と、令和の女子高生の羞恥心が脳内で壮絶な南北戦争を繰り広げていた。
その時、廊下からドタバタという足音が近づいてきた。
「ちょっと理香ー! なに部屋でゴロゴロしてんの! お湯冷めちゃうでしょ、早くお風呂入りなさーい!」
お母さんの催促の声が飛んできた。
「は、はいっ! 今行く! 今行くからーっ!!」
パニックになった私は、理香の記憶の引き出しを必死に検索した。
(ええい、理香の記憶よ頼む! いつも着てる、一番無難でしっくりくるやつはどれだ!?)
記憶が指し示したのは、シンプルな薄ピンクの綿素材に、控えめな小さいリボンがちょこんとついた上下セットだった。
着心地が良く、理香が一番気に入って愛用している日常使いの定番だ。
「これだ……! これにする!!」
私はそれをつかみ取るように手に持ち、着替えのパジャマと一緒に抱えて、逃げるように脱衣場へと飛び込んだ。
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脱衣場の鍵をカチャリと閉め、ふぅっと大きなため息をつく。
内側から鍵をかけられるこの空間だけが、今の私の唯一の避難所だ。
「はぁ……心臓に悪い。下着を選ぶだけで寿命が10年縮まったぞ……これが毎日続くのか。」
洗面台の大きな鏡の前に立つ。
ゆっくりと魔女っ子の衣装を脱いでいく。
黒い手袋を外し、コルセットドレスのファスナーを下ろし、短すぎるスカートを脱ぎ捨て、黒のオーバーニーソックスをすーっと滑り降ろす。
ハロウィンの魔法が解けるように、衣装が脱ぎ散らされていく。
そして――鏡の中には、先ほど選んだ下着とは別の、今日装着していた勝負下着(といっても可愛いフリル付き)に身を包んだ、17歳の「私」の姿が映し出されていた。
「………………っ!!」
私は息をのんだ。
鏡に映っているのは、間違いなく天野理香だ。
細くしなやかな首筋から、滑らかな肩のライン。
ほんのりと赤みを帯びた白い肌。すっきりと引き締まったウエストと、そこから柔らかく描かれるヒップの曲線。
そして、薄手の生地を押し上げる、控えめだがしっかりと主張する丸みを帯びた胸……。
(これが今の俺……いや、私の身体なのか?)
昭和の時代、ビール腹と加齢臭に悩まされ、湿布の匂いを漂わせていたあのオヤジの影は、どこにもない。
そこにあるのは、瑞々しい生命力に満ちあふれた、あまりにも無防備で、あまりにも美しい「女子高生」の裸身だった。
(あおいとゆずの胸の感触にも参ったが……自分のこの身体も、十分すぎるくらいヤバいんじゃないか!?)
思わず自分の細い指先で、鎖骨から胸元へとそっと触れてみる。
吸い付くような肌触りと、指先から伝わる自分の心臓の早い鼓動。
「うわぁぁぁっ……!! なんてこった……!」
私は真っ赤になって顔を覆い、脱衣場で小さく悶絶した。
この身体で、これから毎日生きていくのだ。学校に通い、体育の授業で体操服に着替え、友達と恋バナをし、そしてこうしてお風呂に入る。
「耐えられるのか……!? 俺の昭和オヤジのメンタルは、この過剰なまでの青春と可愛さに耐えきれるのかーーーっ!?」
脱衣場の鏡の中で、顔を真っ赤にした可愛い下着姿の少女が、両手で顔を隠しながらプルプルと震えていた。
令和の女子高生・天野理香(中身:昭和のオヤジ)の、本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。
07c04196 No.4908
ピピピピ、ピピピピ――。
「んん……あ……」
アラームの音で目が覚めた。
カーテンの隙間から、爽やかな朝の光が部屋に差し込んでいる。
(ふぁ〜……よく寝た……って、あれ?)
布団の中で体を動かした瞬間、胸元に軽やかで解放的な感覚があった。
昨日のお風呂上がり、下着を選ぶドタバタと過剰な緊張で体力を使い果たし、パジャマを着たところで力尽きて、ブラジャーをつけないままベッドに倒れ込んで眠ってしまったのだ。
パジャマの生地越しに伝わる、ダイレクトで無防備な胸の感触。
「……うわ、ノーブラで寝ちゃってた……」
自分の声(理香の高くて可愛らしい声)にハッとして、布団を跳ね上げる。
昭和のオヤジ時代なら「ノーブラ」なんて当たり前中の当たり前だったが、今の自分はこの通り、瑞々しい17歳の女子高生だ。
パジャマの胸元が少しゆるんでいるのを見て、朝一番から顔がカッと熱くなる。
「やばいやばい! 早く着替えないと、学校遅刻しちゃう!」
慌ててベッドから起き上がり、フローリングの上に裸足で降り立つ。
朝の冷たい空気が太ももを撫でて、一気に目が冴えた。
クローゼットへ向かい、観音開きの扉をパカッと開ける。
ハンガーにかけられたブレザーとチェックのプリーツスカート。
そしてその脇にある小引き出しから、今日つけるブラジャーを選ぶ時間だ。
(よし……昨日はテンパりまくったけど、今朝は落ち着いて……)
引き出しを引くと、綺麗に並んだブラジャーたちが目に飛び込んでくる。
(ううっ……やっぱり、慣れない……!)
恥ずかしさがこみ上げてくる一方で、胸の奥から湧き上がってくるのは、なんとも言えない「うれしさ」だった。
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昭和の時代、ハゲ散らかして加齢臭を気にしていた中年オヤジが、いまやこんなに可愛らしいレースやフリルの下着を選び、自分の身体をドレスアップできるのだ。
女の子として生きているという実感が、この小さな布地一枚からひしひしと伝わってくる。
(嬉しい……嬉しいけど、やっぱりメチャクチャ恥ずかしいよ!!)
「うーん、今日は普通の授業だし、制服に響かないシンプルなやつがいいかな……」
一人でブツブツと呟きながら、薄いベージュピンクのシンプルなブラジャーを手にとる。
つるりとしたシルキーな肌触りで、中央に小さなリボンがついているデザインだ。
(これならブレザーを着ても目立たないし、理香の記憶でも『学校の日用』って感じだ)
意を決してパジャマのボタンを外す。
朝日を浴びる自分の素肌。胸の膨らみを包み込むように、慎重にブラジャーを着用する。
背中のホックを留める動作も、理香の身体の記憶が勝手に動いてスムーズに完了した。
パチン、とホックが留まる心地よい感覚。
「ふぅ……しっかりとフィットした……」
胸元がキュッと持ち上げられ、きれいなシルエットが作られる。
鏡の前に立つと、ブラジャーの上にブレザーとスカートを合わせた「どこからどう見ても完璧な女子高生」の姿があった。
(よし! ブラもちゃんとつけたし、制服もバッチリ!)
恥ずかしさに頬を赤らめつつも、自分の可愛さに少しだけ満足げに微笑む。
「理香ー! ごはんできてるわよー! 早く降りてきなさーい!」
階下からお母さんの呼ぶ声が聞こえた。
「はーい! 今降りるー!」
私はスカートのヒダをトンと整えると、かばんを手に取って、元気よく部屋を飛び出した。
昭和のオヤジの魂を秘めた、令和の女子高生・天野理香の、初めての登校が始まる!
07c04196 No.4944
トントン、とリズムよく階段を駆け下りてダイニングへ向かう。
キッチンからは香ばしいお味噌汁の匂いと、鮭が焼き上がるジューシーな香りが漂っていた。
「おはよう、理香。今日はちゃんと起きられたじゃない」
「おはよう、お母さん!」
テーブルの上に並べられていたのは、炊きたての白いご飯、豆腐とワカメのお味噌汁、焼き鮭、そして綺麗な黄色いだし巻き卵。
昭和の田中健二時代、朝といえばコンビニの缶コーヒーを胃袋に流し込むか、せいぜい立ち食いそばを掻き込む程度だった。
自分のために誰かが温かい朝食を作って待っていてくれる――そんな当り前の幸せが、胸にしみるほど温かい。
「いただきまーす!」
手を合わせ、お味噌汁を一口すする。
出汁の旨味が体にじんわりと広がっていく。
(美味い! なんだこの身に染みる美味さは。誰かが作ってくれた朝ごはんって、こんなに温かくて美味しいものだったのか……)
「ふふ、なによ理香。そんなに美味しそうに食べて。いつもと同じメニューでしょ?」
「ううん! すっごく美味しいよ、お母さん!」
満面の笑みで答えると、お母さんは少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに目を細めた。
ペロリと完食し、「ごちそうさまでした!」と元気に挨拶をする。
食後は洗面所へ向かい、歯磨きと髪の毛のセットだ。
鏡の前に立ち、歯ブラシを口にくわえる。
ここからは「天野理香」の身体の記憶が、完璧に行動を補完してくれた。
(えーっと、ブラシはこう使って……髪はヘアアイロンで少し毛先を内巻きにするんだっけ……)
頭で深く考えなくても、手が勝手に動く。ブラシを器用に扱い、前髪の長さを整え、ヘアアイロンで髪をセットしていく。
昭和のオヤジなら整髪料を頭頂部に塗りたくるだけだったが、女子高生の朝のお手入れは実に繊細で手が込んでいる。
(よしっ、完璧! 髪もツヤツヤで可愛くまとまったぞ!)
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鏡の中の「制服姿の私」に納得の笑みを浮かべた、まさにその時――。
ピンポーン♪ ピンポーン♪
静かな家に、玄関のチャイムが響き渡った。
「理香ー! お友達が迎えに来てくれたわよー!」
「えっ、もう来たの!?」
私は急いでサブバッグをつかみ、玄関へと走った。ローファーに足を滑り込ませ、ドアをパカッと開ける。
そこには――昨日のハロウィンで狂乱の一夜を共にした、あの二人が立っていた。
「理香〜! おはよ〜〜!」
「おはよっ! 今日も超気持ちいい〜!」
ブレザーに短いチェックのスカート、そしてカーディガンを羽織った、完璧な「制服姿」のゆずにあおいだった!
昨日の黒猫コスプレとピンクナース服も破壊力抜群だったが、朝の光を浴びた清楚な制服姿の二人は、これまた眩しすぎるほどに可愛らしい。
「ゆず! あおい! おはよー! 迎えに来てくれたの!?」
「当たり前じゃん! 昨日のプリクラ見返してたら、早く理香に会いたくなっちゃってさ〜!」
ゆずがニヒヒと笑いながら、いきなり私の腕にぎゅっと抱きついてくる。
あおいも反対側から「今日も理香、前髪バッチリ決まってるね♡」と顔を覗き込んできた。
(ぐはっ……! 朝から距離が! 距離が近い〜〜〜っ!!)
「ちょっと二人とも、朝から引っつきすぎだってば〜!」
照れ隠しに声を張り上げながらも、私の心はどこか誇らしげで、そして温かい幸せで満たされていた。
「はーい、それじゃあ今日も元気に学校行きますかーっ!」
「「おーっ!!」」
朝の爽やかな風が、私たちの制服のスカートをふわりと揺らす。
昭和のオヤジの魂を秘めた私の、賑やかで輝かしい「女子高生としての新しい一日」が、今度こそ本当に始まったのだ。